×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

「さあ、子供たち、お父さんはもういないのよ」      オーストリアからのメール      「オーストリア語」について

Google

No.28 ◆オーストリアからのメール◆

 

Die Weiße Rose

 

日本にいたときの個人的な経験です。

 新聞を見ていたら、東京の渋谷でドイツ語の映画を無料で見せてくれるという小さな広告を見つけ、 知り合いのドイツやオーストリアからの婦人たちを誘い一緒に見に行ったことがあります。

 ドイツ語の映画が渋谷で、しかも無料で見れるということに釣られて、またその映画の題名 「Die Weiße Rose」に釣られて、のこのこと出掛けて行ったのです。 どのような内容の映画なのかはわたし自身は全然知りませんでした。婦人たちへのサービスの積りでした。 わたし自身は本場のドイツ語のヒアリング練習気分で小さな会場(2、30人ぐらい)に行きました。
 

この映画がナチに対する学生の抵抗運動を表現しているものであることを知ったのです。 ドイツ語が殆ど分からなかったのにも拘わらず、その緊迫した中心の学生たち、教授、緊迫した雰囲気は伝わって来ました。見つからないように、 成功するように祈らざるを得ないような気持ちでした。

 

若い命を精一杯にナチ政権に抵抗した本当にあった話の映画化であったのですね。
 

何年前に見たのだろうか。わたしの記憶も薄れてしまいました。

 

映画を見終わった後、会場から出て来て見れば、外は既に夜、渋谷の商店街、道路は車のライトやらネオンで明るく照らし出されていた。 映画の中の世界にあった自分が一時的に現実の世界の戻されケバケバしいその鋭さが目を痛く突っついてくるのを覚えています。
 

心の中、この戸惑っている自分の心をどう整理してよいものやら分からず、一人でどこかへと消え失せてしまいたい思いでした。 若い学生たちの、あの真剣さに圧倒されてしまった自分、その自分をどう取り扱ったらよいのか分からなかった。 口を閉じたまま、一言も言葉を発することもなく、電車に乗って溝の口の家まで戻って行った。
 

ドイツはミュンヘン大学の学生たちが抵抗運動を起こしたのは、上記のヒットラー暗殺計画が結果的に失  敗に終わってしまったが、 その2、3年前の出来事であったことを知った次第です。
 

機会があったら、もう一度、分かるドイツ語で今度はじっくりと鑑賞してみたい。

Die Weiße Rose 

 

第三帝国を負かそうと死んで行った
ガブリエル・グルーダー・ポニ記者
*
*
ニューヨークタイムズ紙

1993年6月12日付け


 1943年、21歳のソフィー・ショル(Sophie Scholl)、兄のハンス(Hans Scholl、23歳、そして仲間の医学生たち、 アレックス・シュモレル(Alex Schmorell)、ウィリー・グラーフ(Willi Graf)、クリストフ・プロープスト(Christoph Probst)−三人の父親−そして、 クルト・フーバー(Kurt Huber)ミュンヘン大学教授はミュンヘンで処刑された。彼等たちの犯罪は政府反対のビラ− −それは「白いバラ」と呼ばれていた−−を公表したことにあった。 彼等たちは「戦争努力、兵力増強に反対、さらには我が国民の国家社会主義的な生き方を転覆させようと、・・・負け犬的な思想を広め、「指導者」を卑しめた結果、帝国の敵を助け、 帝国軍隊の安全を弱めた」と判決に記されている。

*  学生たちは個人的な抵抗から 大っぴらに、つまり匿名的に抵抗する境界線を如何に超えたのだろうか。ミュンヘンで皆が会ったとき、「同じく志を共にする者」、つまりナチに反対する仲間であると お互いに認め合った。シュモレルは人々が政府に対して苦しみや怒りを口に出して言えるそんな懇談会サロンを幾つか設けた。そこに於いて学生たちは大学内にも厳しい抑圧があること、またポーランドではユダヤ人の虐殺 があったことを知った。

*  そんなある晩のこと、誰かが発言した。「出来ることといったら戦争が終わるのを待って、毎日自分がやらなければならないことに気を使っていることしかない」、と。 それに対してハンスは答えた。「エーゲ海のどっかの島をひとつ借りて、そこで世界観について講義でもしたらどうだろうか?」

*  学生たちの不快感が亢進するにつれ、広まりつつある道徳的な臆病さに対して欲求不満と恥の思いが募るのであった。ソフィー・ショルは記している。「色々な恐怖に耳を傾けないでいる方が簡単、でも現状見ると他のことは全て二の次としなければならない」と。


  *   まもなくハンスとアレックスは最初のビラを書き配った。そこには「他の人が始めるのを皆が待っていると復讐の女神ネメシスの伝言者が確実に近寄って来るだろう、、、、だから一人一人は、、ファシズムと全体主義に反対して動かなければならない」。彼等たちの個人主義とは利己的なものではな かった。自分たちの道徳的、市民的責任についてより一層はっきりと自覚することになった。

 

„Wir schweigen nicht,


wir sind Euer böses Gewissen;

die Weiße Rose läßt euch keine Ruhe!“

  われわれは黙ってはいない、

   われわれはあなた方にとって良心の呵責であり、

   「白いバラ」は君たちを苦しめるのだ!

                                  (ビラ四枚目から)

戻る

「さあ、子供たち、お父さんはもういないのよ」  オーストリアからのメール  「オーストリア語」について