Viktor E.Frankl Falco  Elfriede Jelinek

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〜〜〜 〜〜〜〜   Der liebe Augustin  〜〜〜〜 〜〜〜〜            

  
 

 その一、背景(人物紹介)

  'Oh, du lieber Augustin  

Oh, du lieber Augustin, Augustin, Augustin,

Oh, du lieber Augustin, alles ist hin.

Geld ist weg, Mäd´l ist weg,

Alles hin, Augustin.

Oh, du lieber Augustin,

Alles ist hin.

Rock ist weg, Stock ist weg,

Augustin liegt im Dreck,

Oh, du lieber Augustin,

Alles ist hin.

Und selbst das reiche Wien,

Hin ist's wie Augustin;

Weint mit mir im gleichen Sinn,

Alles ist hin!

Jeder Tag war ein Fest,

Und was jetzt? Pest, die Pest!

Nur ein groß' Leichenfest,

Das ist der Rest.

Augustin, Augustin,

Leg'nur ins Grab dich hin!

Oh, du lieber Augustin,

Alles ist hin!

 

 

歌詞だけを見ただけでは、何を歌っているのかも分からないかもしれませんね。でも、 脚韻を踏んでいるのが分かります。先ずは、聞いてみま す?

多分、『ああ、この曲、どこかで聞いたことがある』と言う人もいらっしゃることでしょう。

 

何を隠そう、わたしもそう言う人の一人に属します。遠い記憶の底から懐かしい思い出が蘇ってきたかのようでした。でも、この曲にそんな曰くがあるもの(以下で、ご説明致します)とは想像していませんでした。

どんな曲? 聞いてみますか? そんなに長いものでもありません。

メロディーは単純、繰り返しの繰り返し。

こちらをクリック(mid 60秒)

どうですか? ああ、聞いたことのある曲だ。これが、そうだったのか?! 

懐かしく蘇ってきましたか。

 

この歌はいつ生まれたのでしょうか。

ところで、この曲は1800年、ウィーンで立証されたそうです。

 

もう、お分かりの通り、これは現代の話ではないです。随分と昔の話です。わたしはまだこの世に生まれていなかった。 これを読んでいらっしゃる人は例外なくそうでしょう。


時は下って下って、、、、、17世紀も後半。

所は、ウィーン。古きウィーン、昔のウィーン。

その人とは、Der liebe Augustin。「愛(いと)しのアウグスティン」。

通例、そう呼ばれるようになったようです。 あだ名、愛称ですね。

で、この「愛しのアウグスティン」とは誰? 

今風に言えば、ミュージシャン。 流しの歌手。

楽器は何を弾いていたのかというと、ドイツ語で言う、Dudelsack。パックパイプ。風笛。

バックパイプと聞くと、わたしなどは直ぐにスットコランドを連想し、スカートを履いた男たちが両頬を膨らませバックパイプを吹きながら行進している姿が目に浮かびます。その楽器が奏でる音も実際に聞いたことがありますが、耳の鼓膜をやけに神経質にさせるものです。

 

 

 

さて、昔の古きウィーンを想像してみましょう。

1679年の冬も終わろうとしていた。ウィーンの人々の生活は全てが順調だった。このバックパイプ吹きは毎晩、酒場に行っては演奏しながら歌っていた。酒場にやってくる客たちはアウグスティンのそんな演奏や歌を楽しむ。アウグスティンが提供してくれる楽しい夜の一時を過ごすのであった。

酒場の店主にとってもアウグスティンは大歓迎であった。何故かって、アウグスティンがやって来てくれれば、たくさんのお客が集まり、売り上げも増えるといった具合。

アウグスティンにとっても、好都合であった。Fleischmarkt 肉市場にある「赤い屋根」と呼ばれる酒場へと毎晩行き、自分の演奏と歌で客たちを楽しませ、店主の懐も暖かくさせることが出来る。店主は喜んでアウグスティンが好きなビールを飲ませてあげる。食事も出して上げる。そのくらいのサービスは店主にとっては当然であった。 店主の懐が暖かくなることは言わずもがなであった。

アウグスティンが現れる酒場はいつも、客で一杯になるのであった。勿論、客の腹の中も酒で一杯になる。

今晩もアウグスティンの演奏を楽しめるぞ、アウグスティンの歌を聞いてご機嫌になる客たち。

 

この年の春、ウィーンの人たちにとっては別の意味で、長く記憶に残る年となった言える。                                                     全てが急激に変わってしまった。多くの家庭では病気が、そして死者が出た年でもあった。

こんなことになるのも二度目であった。

 

こんなこと? 

ハンガリーから侵入して来たそうだが、それもひっそりと忍び込んで来たそうだが、ウィーンはペストに見舞われた。

ペストは短時日のうちにウィーンの街を総なめにしてしまった。2、3週間のうちに何千という人が亡くなった。殆ど全ての家にペストは訪れた。ペストに罹るのを恐れてウィーンの街を去ることが出来た人はそうした。 またある人は世界の終わりを感じ取り、貯金を無駄に使い果たすのであった。

病人の数は日に日に増し続け、死亡件数も増え、路上でのたれ死に会う人たちも出て来た。死者が路上に横たわったまましばらくは放置されたままになることも珍しくなかった。富んでいる者も貧しき者も、老いも若きも、男であろうと女であろうとこのペストの犠牲になった。

かくして、ウィーンの街中、色々な状況下で亡くなった死者、その死体でうず高く積まれた荷車が絶え間なく行き交った。ウィーン市に雇われた死体運搬人は路上、放置されたままの死体を見つければ拾い上げ、 死体運搬車に積み上げ、市の外、ペストで死亡した人たちを処理するために特別に掘られた大きな穴、ペスト穴に放り込むのであった。穴が死体で一杯になった時には穴は埋められることになっていた。

当時、ウィーンには愉快な歌手でもあり、バックパイプ吹きでもあったアウグスティンという人も住んでいた。

                                          〜 With love from Austria  オーストリアから愛を込めて 〜

 

ウィーン市第7区 NeustiftgasseとKellermanngasseの角にある 水槽、バックパイプを持った 「愛しのアウグスティン」像

„Ich war hin, nun habt’s mich wieder, und nun hört’s auf meine Lieder!“

 

ウィーンの人たちにとっては大変なことが起こった。そうした困難を迎えたときにも、この愉快な歌い手は相変わらず、好みの酒場へ言っては歌っていた.バックパイプを吹いていた。

ウィーンの人たちはいつものように、いつもの習慣で酒場にやって来ては、酒を注文、仲間や知り合いと談笑するのであった。そこにはまた別の楽しみもあった 。アウグスティンが歌って弾いてくれて、そのユーモアたっぷりの歌いぶりに酔うのでもあった。

「赤い屋根」という居酒屋で時を過ごすのが好きなアウグスティンであった。そこでは自分の楽器を巧みに弾き、歌を歌うのであった。 ペストがウィーンをそんなにも急速に襲いつつあるとは想像も出来ないことであった。どこもウィーンの市民たちによる伝染を恐れ て酒場への足も向かなくなってきたが、、 「赤い屋根」はいつも客で満たされた。というのもアウグスティンのユーモア、そこでの飲み物ビールとアウグスティンが弾くバッグパイプの陽気な音を聞いて毎日の苦しみを忘れようとしたからであった。

最初のうちはまだ良かった。アウグスティンも人々を喜ばせることが出来た。だが各家庭に一人、また一人、二人と死亡者が出て来ると、人々は家の外へと出掛けることを 本当に避けるようになった。死者を弔うということで家に閉じこもることでもあっただろうが、またペストに罹るのではないかと恐れて外出をしなくなった。

9月のある晴れた日(今から何年前のことになるだろうか、、、)、ある晩のことであった、アウグスティンはいつになく沈み込んでいた。酒場は殆どどこも閉まっていたからであった。自分の楽しい演奏を聞きたいという人がいなくなってしまった。 アウグスティン行つけの酒場の店主はペストが襲って来る前のアウグスティンのサービス精神を忘れていたわけではなかった、いつも店を一杯にしてくれていたアウグスティン 、今はその酒杯を一杯にしてあげては、お互いに杯を何度も交わすのであった。その日、お客は一人も現れなかった。

 

”Alles ist hin”                                                                                                                            

( 全ては 去ってしまった・・ 全て、とは何を指しているのでしょうかね 。 

お客のこと、楽しく過ごしていた時間のこと、         

ウィーン人々が次々にペストで亡くなって行ったこと、
    Geld ist weg, 所持金がなくなってしまったこと、
    Mäd´l ist weg  あの娘が行ってしまったこと、   あの娘ってだれのことだろう?・・・・・・・

 Alles ist hin  全てはもうなくなった、この筆者は不思議がっているのですが、、、、)

”Alles ist hin"と何だか悲しそうにリフレーンを口ずさみながら何度も乾杯を繰り返し、塞ぎこんだ自分を慰めるのであった。 真夜中の零時を回る頃には、アウグスティンと店主の二人ともぐでんぐでんに酔っ払ってしまった。自分の家にもう帰らなければならないアウグスティン。夜はとっぷりと暮れた。店主と別れの挨拶を交わした後、以前はあんなにも活気があった演奏会場を去ったのである。

城壁の外にある自分の居所へと戻って行こうとした。が、足が利かない、というのか思うように進めない。アウグスティンの足元 はおぼつかない。千鳥足。

I bin fett.” と何度も呟きながら歩いていたかは不明。

 

Kohlmarkt 石炭市場から城門へと差し掛かったとき、アウグスティンは何かに躓き、道路の脇に転び、起き上がることも出来ず、 そのままそこに留まったまま寝入ってしまった。余りにも深く寝入ってしまったので、ペスト死体運搬人たちが近くで路上に倒れている死体を集め、拾い集めて来た死体が載った荷車に更に新たな死体を載せていっていることも気が付かなかった。

『ほら、こっちの方にも』 

運搬人のひとりが驚いて叫んだ、そして三度 、十字を切った。

『おお、これはアウグスティンではないか! アウグスティンまでもやられてしまっては、世界ももうそんなに長くは続かんな』
 

悲しくも、運搬人たちは車にその死体を載せ、序にバグパイプも死体の上に放り投げた。アウグスティンを載せた死体運搬荷車は St.Ulrich にあるペスト穴へと向って行った。 車にうずたかく積まれて来た死体は全部、大きな穴の中へと捨てられた。
 

実は、アウグスティンは荷車に載せられたこともまたそこから降ろされたことも身に覚えがなく、寧ろ車の上では死体に混じって、そしてペスト穴の中にあっても恰も自分の家のベッドの中で横たわっているかのようにぐっすりと (正に死んだかのように)眠り続けた。飲み捲くったビールのお陰で前後不覚、自分が自分ではなくなってしまっていた。

 翌日、朝の冷気がアウグスティンを目覚めさせた。最初、自分の居場所が良く分からなかった。ブンブンと唸る音がするので、自分の頭の中からだ ろうと思ったが、しばらくすると、そうではないことが分かった。

何百万(!)というハエ〜、ハエ〜、ハエ〜、ハエ〜がその辺をブンブンと 彼等なりの音楽を奏でながら飛び回っている音だった。しかも悪臭を放っている。

自分が座っているところが柔らかいので驚いた。自分の下に人間がいる。

死んだ人間だ。

一人?  

いやいや、何百人といるように見えた。

男、女、年寄り、子供と、皆んな一面黒い斑点で覆われてしまっている。

たくさんの死体で一杯になったペスト穴が自分の寝床であったとは!!

 

 

アウグスティン、パニック状態。

『ここから出してくれ! 助けてくれ!』

大声で叫んだが、アウグスティンの声を聞き付ける者はいなかった。

 

アウグスティン、やけっぱち、バックパイプをつかんだ。

死体たちに向って言った。

『このアウグスティンは今までそうやって生きてきたようにして死ななければ成らんのだ。そう、弾くのだ!』

穴の中、座り込んでアウグスティンは不安そうに一曲、また一曲と弾き続けるのであった。

 

教会にやって来た人たちの中には不思議がった。

何だろう、あの演奏は? 

教会から聞こえてくる音楽ではなかったので、音楽が聞こえてくる方へと行って見ると、ペスト穴の中にアウグスティンがいるではないか。

何をしているのか? 死体を前にしての演奏会?

急いでアウグスティンを引き上げたことは言うまでもない。

 

 

ウィーンの空の下、一晩、たくさんの死体と一緒に寝過ごした、しかも全然ペストに 感染しなかった。

そんなニュースがウィーン中を駆け巡った。

かくしてウィーンの人たちは希望を再び見出したのだった。アウグスティンは健康そのもの、ペストは克服できないものではないということがこれで証明されたのだ。アウグスティンは生きた証人。

 

 

さて、唐突ですが、別バージョン、アウグスティンが助かった時の状況描写。

丁度そのとき、死体を積んだ荷車と死体運搬人が現れた。死体の上と言うのか、死体の間とでも言うのか、穴の中で行ったり来たり、うごめいている一人の男を発見した運搬人たち は吃驚仰天。

アウグスティンは運搬人たちに向って、罵るように大声で叫んだ。

『おーい、助けてくれ! この穴の縁には手が届かないし、このいまいましい穴からよじ登って出られないでいるが分からないのか!?』

運搬人の一人が口を開いた。

『あいつは昨晩、死んだものとして路上に横たわっていたし 、だから穴に放り込んだ筈。奴さん、運が良かったな。昨日、まだ穴は死体で一杯になっていなかったから埋められずに済んだというわけだ。泥酔したまま埋められて しまって目覚めることもなかっただろうに』

アウグスティンはしかし、じりじりしていた。助けが遅すぎるのだ。ゆっくりし過ぎるのだ。

『ペスト穴には一晩だけでも充分だ !』怒りながら叫んだ。 『ここにこれ以上留まってはいたくないだ。早く、引っ張り出してくれよ!』

 

アウグスティンは穴から引っ張り出された。ぷりぷりしながらその場を去った。ペストに罹った死体と一緒に一晩を過ごしたアウグスティンではあったが、何ら 感染することもなかった。不死身のアウグスティン。以前からそうであったように、健康であることに変わりはなく 、酒場「赤い屋根」にやってくる客はアウグスティンに新たな魅力を感じるのであった。ぞっとするような、そう、身の毛もよだつ経験、いや冒険については歌にして優美に、時に気取った風に人々に聞かせる アウグスティンであった。

                                          〜 With love from Austria  オーストリアから愛を込めて 〜


     

結論部:人物へのコメント(人気理由)

ペストがなんだ、そんなものオレには関係ないよ。ペストに罹ることもなく、長生きして、1702年に死亡した。自然死であった、と。

本名は Marx Augustin というらしい。

どうしてペストに罹ることがなかったのか?  回りの人たちは罹り、死んで行ったのに、この人は最初から免疫が付いていたらしい.その免疫とは?色々と憶測することはできるでしょうが、実際の話、罹らなかったというのだから、 驚き、モモの木、山椒の木。 この人、どこか普通のウィーン人ではなかったのかもしれません。

楽天的で、ユーモアがある。いつも回りの人を喜ばしている、そんな人には陰気な病気は近寄ってこないのだ。病気の方が逃げて行く。

人生を愉快に、楽しく過ごしたく思う人、古今東西、どこの地にあったとしても、同じ気持ちを持っている。

今世紀に生きるオーストリア人の血の中には、こうした「愛しのアウグスティン」の心意気、大らかさ、大胆さ、笑い飛ばしが受け継がれているのでしょう。 今日のオーストリア人に引き継がれているわけでしょうね。

愛しのアウグスティン、人生モットー

 ”Lustig gelebt und lustig gestorben ist dem Teufel die Rechnung verdorben."                                            

「楽しく生き楽しく死んでは死神様も近寄らんのだ」

 

 

〜 With love from Austria オーストリアから愛を込めて〜

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Viktor E. Frankl Falco Elfriede Jelinek

ザ・ペスト 完全版

 

参考資料

http://www.wien-vienna.at/index.php?ID=1917&suchen=Augustin (独語)

http://de.wikipedia.org/wiki/Marx_Augustin (独語)