オーストリアからのメール  オーストリアの、金髪の女の子(その

 

No.1(1/2)    

                オーストリアの、金髪の女の子

オーストリアの盛夏(2002年)は疾っくの疾うに峠を越してしまった。今はもう本格的に秋を迎えている。冬がいつやって来てもおかしくない、そんな空気の冷たさを感じる。

そう言えば今日はもう10月も末日。明日はオーストリアでも全国的に11月に入る。夏の間、芝生の緑が太陽の光を反射して新鮮に目に飛び込んできていた、そんな所、周囲には天に届かんとするかのような、あれは白樺の木と言うのだろうか、そんな樹木の数々、その葉は黄色く色付き、緑の芝生だったところも落ち葉による自然絵画展覧会場となってしまっており、恰も自然が織りなす絨毯の上を歩いて行けるような感覚を得る。

10月でも太陽が照りだすと、短かったオーストリアの夏の暑さを思い出させてくれたが、太陽が雲の向こう側に姿を消されてしまうと、何と寒いことか! 夏の延長ということで家の中、まだ半袖、半ズボンのまま身軽でいようと思えばいられるが、一旦、外出するとなると、そんな姿では30分も経たないうちに風邪を引きそうになってしまう。いや確実に風邪を引くに決まっている。だから、そんな姿で外を歩いている人などはいない。でも走っている人はいるようだ。ジョッギングに精を出している。

オーストリアは当地リンツ、盛夏での出来事であった。わたしにそんなことが起こるとは予想だにしていなかった。が、わたしの記憶には強烈な印象として、その夏の日、小さな出来事が思い出される。

 オーストリアの2002年、夏の思い出。

その日、正午前、気温は既に摂氏20数度となっていた。今日も午後からはもっと暑くなるようだ。わたしはどこかの会社等に勤めているというわけでもなく、――実は悲しいかな、失業中――だから夏休みの時期が来たから一ヶ月間ほどの長い夏休みを当然の権利として浮き浮きしながらまとめて取るといった、そんな特別な感覚はなく、わたしにとっては一年中、寧ろ毎日が夏休みみたいなものだ、とちょっと自虐的に言ったり書いたりしてみる。いや、もう書いてしまった。気が付いて見たらもう夏だった、でもいつもの如く家で休んでいる、だから夏の、休み、だ、といった塩梅だ。

我が家、5階建てアパートの一室を借りているのだが、そのバルコン(ドイツ語ではそういうが、ベランダのこと)でわたしは、午前中、一人で太陽と付き合っていた。日光浴をしていた。上半身は裸で、日本式の茣蓙(ござ)を敷いて、その上に悠然と体を横たえていた。太陽が余りにも眩しいのでサングラスを掛けていた。

 

▼家の中は、運動会

一方、我家の子供達は家の中で暴れ回っている。何を言っても言う事を聞かない、聞く耳がないみたいだ。静かにしていられないらしい。

母親は子供達に言う。「あんた達、どうも、お耳が病気になっているようね。詰まっているのかも知れないから、耳のお医者さんに行って直して貰わないといけないわね」

そんな風に言って、脅すというか、諭すというのか、でも親の言うことを素直には聞かない。聞きたくないのか。親はおやおや、困ったものだと思いながらも、具体的な対策が浮かばない。

子供達にとっては親の忠告も馬耳東風、家の中、日本に住んでいた時の部屋よりもやや大きめの部屋から部屋へと、じっとしていられない、我家の動く“家具一式”は勝手に駆け回っている。まるで運動会だ。雄叫(おたけび)を上げながら、追っかけっこだ。

どうして外へと出て行かないのか。どうして下の中庭の芝生へと下りて行ってそこで遊ばないのか。外の方がよっぽどスペースが十分にあるのに、何も狭い家の中で駆け回らなくても良いではないか。日本の、あのお相撲さんのつもりでいるのかもしれない、などと彼等達の立場に立ってその理由をわたしなりに考えてみたりしている。狭い土俵の上で取り組むから色々と技能が磨かれるのだ。土俵が広かったり、広すぎたらお相撲さんは追っかけごっこをすることになってしまうかも知れない。

 

▼母親の嘆き

4人の育ち盛りのエネルギーに満ち満ちた男の子達相手に母親はほとほと参ってしまう。母親はもう一度、子供達に向かって宣言する。

 「あんた達、お耳の中、何かが詰まってしまっているのね。耳のお医者 さんの所へ行って見て貰わないといけないようね!」

 「お耳は “kaputt 壊れている” ようだから、お医者さんに行って新しい耳を作って貰いましょう!」

 間接的な言い方では効き目はない。少しく命令調になる。                     

 「家の中では静かにしていなさい! 駆け回らないの!」

 「お外へ行って遊びなさい!」

  脅し始める。

 「下の階に住んでいるおじさんがうるさい、静かにしなさい、と言って来るでしょう!」

 実は、まだ一度も言って来たことがないのだが・・・、それを知っている子供達。

でも、子供達、相変わらず、聞く耳がないみたいだ。困った、困った。わたしはじっとしたままだ。手持ちぶたさのわたしは、本を持ってくるのを忘れてしまったのを思い出していると、うまい具合にとでも言うのか、母親のそんな、あんな小言が一緒に纏められた耳で聞く全集が、外のバルコンで寝転がっているわたしの耳元まで届けられてくるのであった。

わたしは相変わらず何もしない。口を挟まない。そんなことをしたら、家の中がますます騒がしくなるだけだ。女三人寄れば姦(かしま)しいというが、子供四人寄れば、ナントヤラ、更に大の大人が二人追加的に寄ってたかってしまうと、下の階に住んでいるおじさんが今度こそ、本気になって、例外的に駆け上がって来るかも知れない。あんた達、うるさい! うるさい! 静かにせい! と。

 

▼午後の時間を思いやる

少し暑さが和らぐ午後の時間帯には、またまたわたしが登場しないと、我が奥さん、ストレスが溜まりっぱなしで、健康上宜しくないし、またわたしに対する風当たりも強くなってくるようだし、とわたしは先回りしてそれなりに心の準備をしている。覚悟している。家の旦那は何もしないでいい気に寝転がっているだけだと思われてしまうからだ。

そう、家の中には落ち着きがないということで、我が奥さん、今日の午後もまた、静かな寝室へと一人退き、密かに嘆息、そしてもうひとつ嘆息か。吐息をつきながらベッドの上にバタン休、の休息と相成ってしまうのかな、息抜きが十二分に取れるよう、わたしがまた子供達の相手をしなければならぬかな、と考えながらも、わたしは相変わらずバルコンで一人茣蓙の上、この家には居ないのよといった風情を保っている。

サングラスを掛けて、恰も自分には何も見えない、序でに何も聞こえないといった姿勢を保っている。眩しい太陽に顔を向け、目をつぶったまま、だから何も見えないのだが、寝転がり続けているのだった。

 

▼我らは暇名人

今年の夏、このくそ暑い盛りに、お互いに何もやる事が浮かばないのか、暇なのか。頭が働かないのか。何処かに遠出すると言ったって車があるわけでもないし、御近所の人たちのように、外国へ、今年はやれイタリアへ、やれギリシャだ、やれトルコだ、やれ、どこそこへだ、と言いながら自慢しているのか、羨ましがらせようとしているのか、それを避暑というのか、一家総出で場所を替える運動に参加出来る時間はこっちだって自慢出来るほどに、そして持ちきれないほどにあっても、金銭的な余裕が伴わない、だから我が家の大人達は、やれ、どこそこへ、やれ、あっちだ、こっちだとは言わない、子供達だけがやれ、あっちだ、やれ、こっちだ、とあっちこっちごっごを狭い空間の中でやっているだけだ。

そもそも何処へ行けば良いのか、と自問自答すること、何度もあったが、決定的な答えなど浮かぶ筈がなく、結局、家の中、みんなで仲良く手をつないで、ではなかったが、燻っているだけであった。

毎日が毎日の続きみたいに毎日がこのところ毎日暑く過ぎ去ってゆくのをお互いに毎日我慢しているようでもあった。今日もそんな毎日であった。

▼提案 

案の定、我が母親、いや間違えた、わたしにとっては我が奥様である。

 「ねえ、午後には子供達をプールへ連れていって頂戴ね!」

聞き様によっては、命令調でもあれば嘆願調でもある。わたしも「いやだよ!」とも言えない。暇を持て余している我々家族全員だ。我が奥さんはそうとは思っていないであろうが。自分がこの世で一番忙しい、と。でも、この暑さ!エアコンが家の中にあるわけでもなし、窓という窓は全部開け放してはあるが、涼しい風が吹き込んでくるというわけでもない。

皆んな、思いは同じだ。入れ替わり立ち替わり機会を捉えては、気晴らしにか、何か目新しいものでも見つかるかも、と「開けごま!」と実は自分で冷蔵庫の扉を開けては冷たいミネラル水の入ったボトルを取り出し、がぶがぶと水ばっかり飲んでいる。脳天の後の方がキーンとなるので暑さを一気に忘れる気分になるのだ。でも飲み過ぎはお腹にも宜しくない。

 「“プール”って、パスに乗ってリンツの市街地、ドナウ川沿いまで行かねばならないのかな?」とわたし。

  「歩いて行けるわよ。直ぐ近くに、子供用のプールがあるのよ。しかも無料よ。」

  「へえ、そんな所あったかな?」

  「ほら、知らないの、郵便局へ行く途中よ。」

郵便局には3、4度、一人で行ったことがあるが、そんな場所、見たこともない。尤も関心がないと目には入って来ないことも確かだ。

わたしにとっては初耳であった。近所にそんな場所があったかどうか、わたしは奥さんのように買い物やら何やらでそこら中を頻繁に歩き回るほどのこともしていないから、近所にそんな場所があるということなど全然知らなかった。

我が奥さん、口には出さないが・・・・・、そう、わたしにはもう分かっているのだ。わたしと子供達とを何とか家の外に、目障りだから、掃き出したいのだ。わたしは反抗することもなく、出来ず、提案をすんなりと受入れた。これを所謂家族サービスと言うのか。

我が奥さん、午後はゆっくりと誰にも邪魔されず優雅に休養を取りたいのだ。その気持ちは分かるよ、わたしも。まあ、ゆっくりとくつろいで頂きましょう。子育ては本当にストレスが溜まってしまう。

 

 

 

 

                                  つづき読む→オーストリアの、金髪の女の子(その二) Linz,31.10.2002

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