「オーストリア式個人三行広告」 (その     オーストリアからのメール   予め指定した「贈り物」

 

 

       「 オーストリア式 個人三行広告」(その  

                                                               

ERWIN

Ich liebe Dich            trotzdem!

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 ある女性からエぁヴィンという男性への呼び掛け、アピール、懇願、その他、色々と呼べるでしょうが、勝手気ままに想定される典型的な(?)事例を以下に三つだけ、挙げてみませう 。上手く出来た作り話です

△▼その一、ママ(母親)から息子への呼び掛け

 エぁヴィン君は小学生。学期末に担任の先生から貰って来た、見開きの「成績簿」を見せたところ、ママは人が変ったかの如く怒り出した。

教育熱心な、オーストリアのママ(ということは時にパパもそういうことになるかも知れないが)は、エぁヴィン君を少々厳しく叱り飛ばしてしまったようだ。

幾つかの学科の成績評価を上から下へと眺めてみたところ、「5」が一つあったからだ。オーストリアの小学校では「1」〜「5」までの成績評価があって、「1」が一番優良の成績、そして「2」、「3」、「4」と下がって、「5」が五番、いや、5番でも一番最悪の成績と見なされている。

 

昨年だっただろうか、10歳の、オーストリアではある小学校の、女の子が自殺したというニュースが流れた。その子には数歳年上のお姉ちゃんもいたが、10歳の女の子は教育ママ、パパから多大の期待を掛けられていたらしい。お姉ちゃんのようにママ、パパの期待に応えて一生懸命勉強していた筈であったが、どうも期待に応えきらない。深刻に悩んでいたようだ。子供ながらストレスが溜まりに溜まって耐えられなくなっていた。

 

 ある日、その女の子はママ、パパには黙って、裏庭でこの世から忽然と消えて行ってしまった。事の真相を知るに至った当のママ、パパの最初の驚き様、悲しみ様を女の子は勿論知る由もなかった。この女の子の心の内、鬱積した気持ちは親の知るところであっただろうか、との反省が事後的になされたことは理解できる。

 

 さて、エぁヴィン君もママからこっぴどく叱られたが為なのか、忽然と姿を消してしまった。自分の息子が家から姿を消すなどとは予想だにしていなかったママ。家の回りや、近所、友達の所と探し回ったがエぁヴィン君は見つからなかった。警察にも行った、

 

 泡を喰ってしまったママ、最後に思い付いたのが、新聞に広告を出すことであった。気が動転していたママは考えを推し進めることが出来なかった。エぁヴィン君が新聞など手に取ってママからの広告など読む筈がないということを。

 

いや、ママは夢の中で魘(うな)されていたのであった。今、どこに居るのか、誰かに浚(さら)われてしまったのではなかろうか。事故にでも遭ったのだろうか。行方不明状態の日々が重なる中、夢の中で思い付いたママ、そうだ、広告を出そう。出しておけば、誰かが目にして、手掛かりを提供してくれるかも知れない。

 

 ママは、 目が覚めた。何だ、それは夢だったのか。母親に自分が息子に向かって、「でも愛しているのよ」などというメッセージを個人広告の形で掲載することなど馬鹿げている、そんなことは有り得ない、と目覚めてみれば理性的に考えられるのであったが、夢の中では感情の海に溺れ、理性の出る幕もなく、夢の出来事はそのまま現実の出来事のようでもあった。ママはエぁヴィン君に向かって許しを請うているのであった。

  「Erwin, Ich liebe Dich trotzdem! でも愛しているよ。」

 △▼その二、恋人から恋人へとの呼び掛け

 二人は仲が大変良かった。世界は二人のためにあった。でも、エぁヴィン君(23歳)は会社の仕事で日本へ行くこととなり、彼女はオーストリアに 居残ることとなる。二人は当分の間、別れ別れとなってしまった。家族をオーストリアに残して、日本にやって来たというわけではなかったが、エぁヴィン君は日本で言うところの、単身赴任であった。

 恋人と別れ別れになって、日本で一人寂しく暮らしたくはなかったが、仕方ない。会社の仕事だ。会社からの要請だ、命令だ。エぁヴィン君はウィーン大学では日本語を勉強し、日本語を自由自在に操ることも出来る。筆者のわたしがドイツ語に何度も躓くのとは大違い。会社側もエぁヴィン君のその日本語を買ったのであった。

 一年だけ、ということでエぁヴィン君は日本行きを承諾した。一年後にはオーストリアに帰国するということなので、安心して日本に出発して行った。

 一年が経つのは早い。二人が一年振りに会える日が近づきつつあった。オーストリアではエぁヴィン君の帰国を今か今かと、辛抱強く、かどうかは知らないが、待っていた件(くだん)の彼女(名前は相変わらず、上述の如く、不詳)は、もうすぐまた会える日を指折り数えていた。もうすぐ自分のエぁヴィンは日本から帰ってくる! また会える!ときめくこの大きな胸。

 ところが、ところが、何が起こったのか? エぁヴィン君に何が起こったというのか? 日本でのエぁヴィン君の人生に何が起こったというのか?                 

皆さん、日本では何が起こるか分かったものではない。何が起こっても不思議ではない。不思議な国、日本!

 良くある話だ。いや、良く、などと言ってしまっては語弊があるかもしれない。そういうこともあり得る、と言い換えよう。                           

日本で働いていたエぁヴィン君、実はある女性と知合いになった。ある女性とは日本の女性 。美しい、優しい、しかも可愛い、そんな日本の女性に惚れてしまった。あれよあれよ、ととんとん拍子に仲良くなってしまった。

                

 そして、次には何が起こったか。

 エぁヴィン君に何が起こったというのだろう? エぁヴィン君、この日本女性と仲良くなっただけではなく、一緒に暮らすようになってしまった。つまり、国際結婚をしてしまった。 

 ところで、オーストリアに残してきた恋人のこと、エぁヴィン君は忘れてしまったのだろうか? 同国人の、彼女の心の内を知ってのことだったのだろうか。同じオーストリア人だから知っているに違いない、とこの筆者は思いたいところだが、どんなものだろうか。同じ国の人同士だから分かり合えると言えるかも知れないし、言えないかも知れない。 わたしは知らない。

 エぁヴィン君、オーストリアにいる彼女に手紙を書いた。可愛い日本の女の子と一緒になった、と。"可愛い"などと書いてしまったら、彼女どう思うか? 自分は可愛くないの?

 遠い日本の地から離れて見やる形で既に知らぬ間に元恋人になってしまっていたとは努々(ゆめゆめ)思ったこともなかった彼女、ここオーストリアから見れば まだ恋人である、あのエぁヴィン君から手紙を受け取って、びっくり仰天。これこそ晴天の霹靂であった。大ショック。ショック死には至らなかったが、ショックは大変なものだった。それは容易に推測出来るだろう。                                                                                                    

 彼女は信じられない。そんな事件は信じられない。でもエぁヴィンのこと、何かの間違いの筈、そう考える、考えたい、思いたい、信じたい、彼女。

 恋人が帰国する日を今か今かと首を長くして待っていた彼女は自分の心をどう整理すれば良いのか分からなかった。裏切られた! 捨てられてしまった!

 帰国日と決めてあった日、その日に日本の新妻を連れてオーストリアに一時帰国すると手紙には付記してあった。自分はどうすれば良いのか、彼女は苦悶した。心の中の混乱、 エぁヴィンに対して自分はどう考えたら良いのか。エぁヴィンに会おうか、会うまいか。会って本心を問い質し、確認してみようか。

 噂が流れてきた。エぁヴィンは今、オーストリアに戻って来ている、と。でもエぁヴィン本人からは連絡が全然来ない。もちろん、本人自身も全然来ない。

わたしのことは忘れてしまったの? わたしは過去の人になってしまったの? 惨(むご)い。許せない、と思ったかどうかは本人に確認したことがないので分からないが、内心穏やかでなかった筈。とにかく、一度、会って話してみたい。そう思った。思っている。でも、エぁヴィンは今、何処にいるの? 

 日本からニュースを受け取った時、最初は驚き、そして怒りが、悲しみが込み上げてきた。事実は事実として噛み締めなければならなかった。エぁヴィンに向かってこの憤怒をぶつけようか?

 エぁヴィン、あなたは日本へと、わたしから離れて行ってしまったけれど、本当にわたしから離れてしまったの? わたしから去ってしまったの?                      

 

   「Erwin, Ich liebe Dich trotzdem! 

        でもエぁヴィン、愛している! エぁヴィン、でも愛している!

 △▼その三、別れた元夫への、夫人からの呼び掛け

 既に長いこと夫婦していた、そんなお二人であった。銀婚式も終え、金婚式、そしてダイヤモンド婚式を目指そうと、そして永遠の夫婦であることをお互いに誓った筈であったのに、人生、嗚呼、人生、オーストリアでも何が起こるか分かったものではない。ある日二人は、離婚した。

 何が彼女をしてそうさせたのか? まるで何処かで聞いたことがあるようだ。原因は彼女か、彼か? この事例では彼女であったらしい。古い彼は枯れてしまった。そこで新しい彼が現れて来たということらしい。それとも一人で居られることの自由を取り戻した夫人だったのだろうか。夫人、66歳。

 子供達は大きくなって、我が夫婦の手から離れた。狭すぎると感じていた我が家も途端に広すぎると感じるようになった。心の中もぽっかりと空白が生まれてきたようだ。この空白は何なのか? こんな歳を取った自分の内に物理的な空白だけでなく、何か別の空白が心の中にある。これは何か、夫人は思った。

 これからは誰にも束縛されたくはない、これからは自分の自由で暮らしてゆきたいと。

 夫人からの申し込みであった。協議し、夫も納得して(おっと、本当かな? と筆者)夫人は新たな人生を歩むのであった。

 経済的に自立出来ている女性は強い!

 元夫という名前、別名、いや、本名エぁヴィン殿は可哀相ではないか。好き嫌いのハッキリとしている、その区別が激しい、権利要求だけは男顔負けに強いオーストリア女性のプロから最後通牒を言い渡され、それを飲まざるを得なかったエぁヴィン殿、72歳。筆者も男人種の一人として同情の念に絶えない。

 ある日のことであった。良くある話だ。オーストリアに住んでいると良く起こることでもある。そう、ある日、ある人が、二人であったり、一人であったりもするが、しばしば家庭を訪問する。この日は一人であった。自分、つまり夫人よりもずっと若いのに、また異国人のようで最初不信感がつい首、喉(?)の先まで出て来そうになったが、笑顔を終始絶えさない、その東洋人の、たどたどしい、変なドイツ語に耳を傾けざるを得なかった。笑顔に惹かれて、この人、何を言いたいのか、ちょっと聞いてみようと関心を引かれたのだった。

 何か、新しい聖書の話でもしているのかと思ったら、「夫婦関係はどうですか? 上手くいっていますか?」 と初めて会った人間に向かってずけずけと聞いてくる、その不貞不貞しさ。他人様に個人情報を教える必要などはない。

 「ちょっと中に入っても宜しいですか?」

  夫人はその東洋人(日本人であったか、は確認が取れていない)の押しに負けてしまうかのように、いや、オーストリア人的社交の良さを発揮して、居間に招じ入れてしまった。

 「夫婦することはふうふうすることではなく、二世(にせ)の契りを意味するのですよ。 現世も来世も一緒ですよ」 そんなこと異国人に、他の人に聞かされなくとも、自分は敬虔なカトリックの信者であると自負している夫人はそんなこと分かっていることと内心思っているのであった。一度結ばれた夫婦関係は教会での結婚式での神父さんが言うように、死ぬまで別れることなく続くべきものだということは知識として知っている。

 その人の話を聞いているうちに、夫人は元夫のことが気になって来た。

 わたしの方から別れる、別れましょうなどと言ってしまった、そして行ってしまった。行ってしまった元夫を取り換えそうという気持ちが湧いて来るのであった。

 どうしたら良いのか? 夫人は元夫が今となってはどこにいるのかも分からない。いわば完全に手を切ってしまった。知りたくもない。聞きたくも。勿論、オーストリア国内、どこかに住んでいることは確か。一人で住んでいるのか、それとも、 わたし以外の、新しい、別の女性を見出して一緒に暮らしているのか、知る由もない。

 夫人は元夫と元の通りになろうと思った。元夫に悪いことをしてしまった、と。どうしたら元夫を捜し当てることが出来るだろうか?

 「最近、面白い新聞広告を見たんですよ」

  そう言いながら、その東洋人(もしかしたら、日本人かも知れない)は手提げ鞄から新聞を取り出し、夫人の目の前に差し出した。ザルツブルクで発行されているオーストリア国内新聞であった。紙面の片隅に小さな広告が掲載されている。

 偶然と言うには余りにも偶然過ぎる。自分の元夫はエぁヴィンと言う。夫人はその広告を見て思った。自分も、そうしよう。いや、そうしてしまったも同然であった。              

 

 「Erwin, Ich liebe Dich trotzdem! 

     エぁヴィン、あたしのエぁヴィン、 追い出して申し訳ない! でも愛してる!」

 

▼ Trotzdem?

 随分とを紙幅を割いて来てしまった。さて、冒頭のドイツ語、三行目に見える、単語一つ。

 Trotzdem

 この単語、パンチが利いていると思う。意味深長な単語が一つ加わっていることで、背後が隠されているにも拘わらず、その背後が前面に出て来たがっているかのように読める。色々と表には出せない、だから口外出来ない事情があるんだが、言うに言われぬ事情は事情であったとしても、このわたしがあなたを愛していると言う事実は変わりがないのよ、と。

 

 どんな事情があるのだろうか。

 それは新聞の読者のご想像にお任せします、ということに相成るのかもしれない。電話番号も住所も発信人の名前も出ていない。だから、確認の仕様がないのだから。

 どうぞご自由に、ご想像下さい。以下、ノーコメント、と。

 わたしとエぁヴィンとの間のことであって、この愛はわたしたち二人の為にあるのよ。他人様の入る余地はありません、と。

 他人様のわたし、筆者も色々と云々して来てしまいました。もう、ここまで書いてきてしまったらには、戻れない。もう少しだけど、続けてしまおう。

 Trotzdem

 手元の辞書で意味を調べたところ、

 それにも拘わらず、

 ・・・であるにも拘わらず

 となっている。

 色々と事情があるのだけど、それはそれとして、そんなことが問題ではない。重要なこと、それはあたしが、あなた、エぁヴィンというあなたを愛している、 わたしの愛は変らない、何が起こったとしても変らない、あなたが変ったとしてもわたしは変らない、わたしの愛は変らない、わたしの愛は本物、色々とわたしたち二人の間には起こったけれど、人生、ここまで わたしたちの間には浮き沈み、誤解、不審、不信、失望、落胆、絶望、怒り、喜怒哀楽、色々とあったけれども、とにかくわたしはあなたエぁヴィンを 愛している。          、

 エぁヴィン聞いているの?

 読んでいるの、分かるの?

 わたしはあなたを愛してる! 分かって欲しい。愛している。

 Troztdemよ。でも、よ。でも愛してる。色々と事情があっても、愛していることには変りない。

 愛は永遠なり、愛は不変なり、愛は不滅なり、愛は忍耐、愛は希望、愛は信仰、愛はわたし、わたしは会い、愛、わたしは英語でアイ、I、愛は英語でラブLove、ドイツ語でりーべLiebe、アイは わたしそして愛、わたし愛してる! アイアイ、アイアイ。エぁヴィン、愛してる。

▼結論

 この小さな「個人三行広告 」の中には大きな永遠が込められている。わたしとあなたのエぁヴィン、わたしの特別なエぁヴィン、分かって欲しい、でも愛してる。永遠に愛してる!

 

「オーストリア式個人三行広告」 (その     オーストリアからのメール   予め指定した「贈り物」

 

Linz, 10.November 2002