オーストリアの、ある休日風景 オーストリアからのメール 運転免許証書換えの顛末(その

 

No.9(1/3)


「運転免許証書換えの顛末(その)」


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  前書き________________________
 

  日本から持参してきた“日本製”「自動車運転免許証」を持って、地元 のオーストリア警察に行った。係官にそれを見せながら「オーストリアの 運転免許証と取り替えて欲しい」と頼んだ。

 「何だ、これ。何か入場許可証みたいだなあ」

 手渡されたわたしの自動車運転免許証を眺めながら、そんなことを言う。本 気でそう思って言ったのかも知れないが、その言い方がどうも気に食わない。  いわばわたしの分身と言っても良いもの、ケチをつけられたか、と思った。

 提出書類の一つとしてこの日本運転免許証を独語か英語かに翻訳して持 って来るようにと言われ、免許証も返してくれた。ちょっとムッとしたが、 言われるまま一旦自宅に帰って来た。

 

 ■4月24日(金)■


  過去数日間、役所に提出すべき書類を全て揃えていた。

 本日、ようやく準備万端、早速リンツの警察本部がある高層ビルへと一 人で出掛けて行った。

 自分が居住している外国にあって、そこの役所に一人きりでやって来て 自分で手続きを取ろうとするのは初めてのこと。大の大人だ、子供ではな い、それとなく自分でやれるだろう。本国人に付き添いで来て貰えば、色々と手間も省けるかもしれないと思ったが、今回は全部自分でやってみよ うということにした。これも外国で生きて行く上での経験だ。

 建物にやって来てからは所定の部屋へと向かった。ノック。何の返事も ない。誰もいないのかな?指定時間にやってきたというのに、、、、。 入ろうか入るまいか?鍵が掛かっているのか?ちょっと躊躇したが、 ドアノブを回して、ドアを押し開けそのまま部屋の中へと入って行った。

 だだっ広い部屋に係官が一人。わたしが入って来たのを認める。簡単な身体 検査、視力検査を受けた。それを終えた後、階段を降り、地上階へと、免 許証書換えのための受付窓口へと向かった。

 窓口の受付の女性(役人)は一人だけ、それこそヨーロッパは近隣諸国か らやって来て、そして今はオーストリアに居住している色々な外国人相手に事務を取っている。オーストリア人相手の役所というよりもオーストリ アの外国人相手の役所と言った風に見えないこともない。

 ここに来ている人たちは皆、一つの目的のために来ているのだ。わたしも同 じ目的で長い列の後ろに並んで仲間入り、自分の番がやってくるのを待っ ている。見たこともない顔顔を眺めたり、仲間同士なのか、同国出身者同 士なのか、耳にしたこともない外国語をお互いに喋っているのをわたしは傍で 何となく不可解そうに耳を傾けている。

 壁に沿って色々な書類バインダー等が並んでいるのが見えるし、このお ばさん、カウンターのこちら側から窓口を挟んでそちら側の人として観察 すると、役所の人だということが納得出来るが、おばさんは普段着、別に 制服を着ているわけでもない。町で見かける普通のおばさんのように見え ないこともない。

 我々外国人は皆、オーストリア製の運転免許書を入手したいとやって来 た、順序がないようなあるような、そんな列に並んでの申請者たち、おば さんは窓口の反対側にあって不足書類等の指摘やら、出来上がった運転免 許証をにこりともせずに受け渡ししているようだ。




 ■わたしの番だ!


 
ようやくわたしの番が巡ってきた。

 心臓が何となくドキドキする。実はここだけの話し、自分が翻訳者(ま だ本職ではないが、自分では翻訳者だと思っている)に成りすまして作成 した日本語免許証のドイツ語訳文書について、受付のおばさんに拒否され たらどうしようか、といった不安がちょっと過ぎる。申告しない限り分か るまいが、本職の翻訳者に頼むと結構な料金を取られることが分かってい たので少しでも出費を節約するために、つまり翻訳料を浮かしたのだ。

 神妙な面持ちで提出、窓口の女性事務員は書類一枚一枚を認めた後、わたし に告げる。


 「来週の月曜日には出来ていますから、、、、、」
   ドイツ語で事務的に、にっこりとも二コリッともしない。

 そんなものか!? とわたしは戸惑いながらも、直ぐに我に返って、そうい う事実をそのまま受け容れた。

 オーストリアの中をゆっくりと流れるドナウ川のように、またヨーハン・ ストラウスの優雅なワルツ音楽を彷彿させてくれるような、序にこちらまで釣られて応答してまいそうな、 そんな気品のある音楽的なニッコリを期待していたわたしはそこにやって来た目的を根底から崩された。 幻滅だ。立ち直れなくなることを予感的に恐れた。


 少なくとも二週間は掛かるものと予備知識を得ていたものだから、来週には出来るということで、 ほほ〜、と内心満足しながら、またそう言われ たことを脳裏の片隅にしっかりと記憶させてから家路に就いた。



■4月27日(月)■

 その来週の月曜日、つまり言われたように今日がやって来ていた。わたしは 出来上がっているというオーストリアの自動車免許証を取りに行くのを忘 れてしまっていた。

 もう出来上がっているのだからという安心感があったためか、何も慌て て取りに行く必要もないだろうと自分に格好をつけていた。
 



■4月30日(木)■

 本日、偶々、そう偶々と言えよう、「車」が手に入った。

 これはやっぱり、わたしが早くオーストリアの運転免許証を獲て車を運転 出来るようにと目には見えない周囲の力が色々とその方向へとお膳立てを してくれたものなのかな、と余りの符合振りに内心微笑んだ。


 実は、日本での過去の日々、ヨーロッパでの過去の日々、 「車」を購入するとか所有するとか、また自分で運転するとか、そんなことは考えるこ ともなかった。わたしの頭の中を車が占めることはなかった。


 日本一周ヒッチハイクの旅をしていた時も色々な車に乗せて貰ったが、 自分で運転するなどという考えはこれっぽっちも浮かんで来なかった。 旅の性質上、そういうものではあったが・・・・。

 車は怖い! そういう先入観というのか、 固定観念が我が無意識の下には常にあったようだ。

 運転して人を轢いてしまったどうなるのか。怪我をさせたり、最悪の場 合、死亡させてしまったりしたらどうなるのか。被害者は惨めだ。加害者 も惨めな思いからは解放されないだろう。

 幼児期の体験が深く根強く潜在意識として生きていたのかもしれない。 近所の小さな女の子が米軍キャンプのトラックに轢かれて路上、動かなく なってしまった。死んでしまったのだ。子供ながらも何が起こったのか直 感したわたしだった。残された家族は大層悲しんだ。子供ながらよく覚えてい た。

 日本の空の下、何処かで交通事故のために毎日死んでいる。 年間一万人を超えたとか超えなかったとか、そんな話題が記憶にある。交通事故のニ ュースを聞く度に、また交通事故現場の映像を見ながら、車など運転する ものではない。いつ命をおとすか分かったものではない。車に近寄ること もなかった。縁もなかった。





 ■高価なモノには手が出せないのだが、、、、



 
そもそも余りにも高価なモノ、わたしが個人で購入出来るモノだとは到底思えなかった。だか ら余り関心もなかった。自動車メーカーから新車が発売されたからといっても食指が動くというものではなかった。

 そういえば、こうして今、自動車よりも先に個人負担としては高価な筆 記・通信道具であるデスクトップPCを購入し、所有し、使用している。 やはり必要性にも優先順位があって、自動車などは絶対必要ないものの一つとなっていたということが分かる。

 こうして文章を書くのにキーボードを必要とし、 この10本の指も忙しそうにボード上を駆け回る。大学時代、入学して間もなく、英語でのレポ ートをタイプして出せ、とのっけから言われてしまった。タイプして出せ、と言ったってタイプライターは手元になし、どうすれば良いのか。否応な しに一機購入せざるを得なかった。そしてタイプも自己流で人差し指一本 打法で一文字間違えては用紙を破り捨て、新たな用紙の上に同じことを繰 り返す。用紙一枚最後の行、その一文字を打ち間違えてしまったためにその用紙全部を破り捨て、もう一度やり直し、打ち直しといったことを繰り 返して、何と沢山苦労したことだろう。


 お陰様で今は10本の指を自在に駆使してキーを見ながら入力すること なく、いわば自動的に指が踊り回っている。


 遅かれ早かれ、人が必要とするものは発明され、製造され、大量生産さ れ、一般大衆の手にも届くように摂理は働いているようだ。


 
今まで自分とは関係ないと思っていたのが、こうしてキーをカタカタと 叩いている。この世には関係ないものはない、と結論せざるを得ない。ど こかで繋がっている。全て関係している。繋がっていないように思えたり 見えたりしても生きている限り、全ては関係している。


 関係なくして生きては行けない。 コンピュータのことをもっと勉強してこの地でこの年になっても生き抜いて行かなければならないのかとも感じ 始めている。コンピュータのプロ。思い、考えは際限なく広がって行く。 繋がって行く。何処へと繋がっているのか。


 




■初めての車運転


 わたしの将来の奥さんがやって来るというので成田まで迎えに行った。その 日はちょうど同じ会社の社員が海外出張だということでわたしは会社の車メ ルセデスベンツに便乗、彼の運転で成田まで見送りに行った。帰りは一人で、 いや、二人で一緒に東京まで戻ってくることになっていた。

 帰りの運転はもちろんわたしであった。 そのわたしとは日本の運転免許を取ってからも余り運転する機会がなく、 いわばペーパードライバーの身であった。 それが教習所で練習したときから何ヶ月もと経った後、一般の道路での運 転経験も全然なく、従って運転の仕方も忘れてしまったのではなかろうかと 自分では思われながらも帰りの高速道路を不安そうに走っていたことが思い出される。

 自転車の漕ぎ方を一度覚えたら忘れることもないように、 自動車の漕ぎ方も一度習ったら忘れるようなことはないのかもしれない。自分でも感心 してしまった。時速120km前後で飛ばしていた。どうやったら停車出 来るのだろうか。一度走り出してしまったらガソリンが切れるまでそこら 中をぐるぐると走り回り続けてなければならなくなるのでは? 自分が運 転台に腰掛けて運転しているという感覚は薄く寧ろ車の方で勝手に動いて いる、だから自動車なのかも知れないが、そんな錯覚に陥りそうになるのであった。

 自分が運転しているのではなく、車が自分を運転しているといった感覚、 いや錯覚。主客転倒、いや本人は転倒も衝突もすることなく、 だから事故も起こさずに、無事と都内に戻ってこれた。それはまるで夢の中の出来事のようであった。

 後で我が奥さんに感想を聞いてみた。 とても怖かった。やはりわたしと同意見であった。上でも書いたように、車は怖い! やはりそうなのだ。車は 怖い。もう二度とわたしの運転する車には乗らないと宣言。


 それ以来、わたしも二度と車を運転することがなかった。 10数年前、会社の車で一回走った限りであった。卑下でも自慢でもない。

 そもそも「車」とは縁のないわたしの人生だとわたしは小さい頃から決め込んで いた。それがどういう風の吹き回しか、やはりどこかで繋がっていたということになるらしい。 ヨーロッパはオーストリアに来てからは「車」無くしては 生活がやりにくい。「車」との付き合いがまた始まろうとしているらしい。







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 さて、偶々「車」が手に入った、と書いたまま、あらぬ方向へと「車」 が暴走してしまいました。いや、車の話しが脇へと逸れて行ってしまいま した。ようやく、元の位置に戻った来ました。

 その「車」とは中古車、知り合いのアメリカ人が奥さんがいる韓国へ 行くことになり、その留守中だけでも預かるということになった。 今、 その車は我が家の前に駐車している。

 郊外にある自宅(といっても一軒家ではない、 アパートの一区画を家族全員で借りているに過ぎないのだが)からリンツ市内へと、 リンツ警察本部が入っている建物の中にある交通局まで、 わたしの運転にこりごりの我奥さんの運転で送って貰った。 わたしは助手席に座りながら一人ほくそえんでいた。    

  「本日はオーストリアの運転免許証が入手できるぞ」。


 窓口に顔を出す。自分のパスポートを見せながら、本人がやって来てい ることを証明しながら、たどたどしくもドドイツ語で用件を告げる。

 ドイツ語しか通じないようだし、 窓口の女性役人も申請者は外国人であろうともドイツ語は当然話せる、理解できるものと捉えているようだ。

 そう想ってくれているのは有り難いのだが、実体が伴わない我ドイツ語。 その覚束なさ、自意識過剰で額に汗し、脇の下に汗し、ドドドどもりがち。 舌が乾いてしまっているかのように上手く回らない。何で俺様はこんな苦労をして までドイツ語を無理に喋らなければならない羽目になってしまったのか。

 女性事務員は自分の縄張り、机の上、棚の中、隣の部屋へと何をかを探 しているようであった。が、目的ものが何も出てこなかったらしく、事 務的に、何の感情もないかのように、元の窓口に戻って来て事実をわたしに告げる。


 「まだ出来上がっていません。2週間後にまた来てください」

 先回来た時、もう今週には出来ていると言ったじゃないか! 忘れたのですか?! 声高く広 言を吐いたわけではなかった。

 「2週間後ですか?」

 その返事が信じられないといった口吻で、質問とも確認とも取れるよう な、同じ言葉を、いやそんな言葉は要らないよ、そのままお返しますよと 言いたげに繰り返して、その場を去った。

 「2週間後でですね!?」

 全く、オオースットリアの役所は、、、、、、ははハッキリししないなああ。

                      

 

 

 

 

                                                               運転免許証書き換えの顛末(その二) つづきを読む  

                       

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