Nオーストリア5月のOnomatopoeia      オーストリアからのメール   さあ、子供たち、お父さんはもういないのよ 

        

”黄色い天使”が舞い降りてきた

 

そういえば、家の三番目の息子がそうでした。2年前の正月元旦、あるオーストリア人の知人家族の所に一緒に新年を祝おうということで招待を受け、山の中腹にある家までの雪道を家族全員車に乗って出掛けて行きました。

家の周りは雪がたくさん積もっていて、雪遊びには持って来いの環境。子供たちは雪の坂道やら傾斜となった所でボッブスレーやら サンタクロースが乗って来るといった小型そりに乗っかって滑り落ちて歓声を上げていていました。わたしも童心に帰ったように一人ではしゃいでいました。

プラスチック製のボップスレに四番目の子供を乗せて、山の坂道斜面の一番高い所まで、ボブスレーにくくりつけたひもをひっぱりながら一歩一歩登って行ました。雪道を一気に滑り落ちて行くスピードのスリルを子供ながら楽しむ遊びでした。 自分で操縦することはできないので、大人のわたしが紐を引っ張りながら駆け下りて行くといった次第。

斜面、坂道の一番高い所までたどり着くと、眼下にはその日訪問した家の大きな屋根が上から押さえつけるかのように見えます。家の周りは一面雪で覆われた広がりがパノラマの如く望めるのでした。そこら中、雪でうまってしまった広大な野原の中に一軒 ぽつんと建っている。その家の裏側はそのまま、森へと通じる緩やかな斜面となった野原、もちろん今は雪が降り積もっている。 他の我が子たちは自分たちだけでそれぞれ思い思いに雪遊びに余念がない。

わたしと四番目の子が坂道の極みに達したとき、悲痛なる叫びがどこからともなく当たり一面に響き渡った。何だろう?誰 だろう。それとも雄叫びか。

坂道を一緒に駆け滑り落ちて来て、家の前に戻ってきてみれば、「ああ、大変、大変、足を折ってしまったのよ」と我が奥さん、当惑、真っ青、迷惑そうに、厄介そうにわたしに報告。山に木霊した叫びは我が子のそれだった 。家のご主人と一緒に小型そりに乗って雪傾斜を猛スピードで滑り落ちて行く際、前の方に両足を投げ出すようにして座っていた三番目の息子、何の拍子にかその右足がそりの下に巻き込まれて脛骨が折れてしまった。
 

 


  新年第一日の、休日の楽しさも一片に吹っ飛んでしまった。

  どうしよう?

 医者に、病院に連れて行かなければならない。

  どうやって?

それよりも怪我した子供はどうなの ?

  どこにいる?

家の中よ。ソファーに仰向けよ。 骨折した箇所を固定しなければならない。

医者はいないのか? この村には?

  電話、電話! 

  電話番号は?


 運良くもその村の医者は自宅に”待機”と判明、本人が車を飛ばしてやって来てくれた。骨折箇所を応急的に固定させ、負傷者は病院へと速やかに連れて行かなければならない。救急車を 緊急に手配した。


 晴天の霹靂の如く、緊急事態が発生してしまった。

確かに救急車を頼んだらしい。が、山を降りた隣の町から山の中腹まで、我々が居る所まで山道をくねくねと登りながらドライブしなければやって来れない所だ。時間が掛かる。じりじりする。子供の顔からは血の気が引いてしまっている。子供ながら痛みをじっと耐えているのだ。雪で沁みたズボンも上着も冷たそう。毛布を全身に掛けて保温。

乗って来たわたしたちの車で町まで降りて行くことも考えられたが、車の中、子供を安静に横たわらせることが出来るようにはなっていない。

救急車を待つしかないのだ。いつ来るのか。いくら待っていても来ないかのように思えた。救急車は道に迷っているのではないか。雪道をゆっくりと走っているのだろう。  

家の外で立ったまま車がやってくるであろう方向、上方を見遣り、じりじりしながら待っていた。曇天空の下、空気も何となく重苦しい。

 ドイツのフォルクスバーゲン車を改造した救急車が漸くやって来るのが見えた時にはちょっとだけだが、ほっとした。

さあ、早く早く、リンツの救急病院まで行かなければならない。しかし道程は遠い。わたしはその子の親 、付き添いということで同乗した。雪が降った山道、村道をVW車は走って行くが、スピードは出せない。スリップ事故等を起こしたら元も子もない。ゆっくりと走ってゆくようだ。

間に合うのだろうか。時間との競争。応急的に出血止めはしてあるが、傷口からばい菌が入り、事態を悪化させてしまうことも有り得る。早く、早く。病院に一刻も早く到着しないと一安心はできない。

この車でリンツの町まで行くのには時間が掛かりすぎると判断した救急車付き添いの医師は運転手と相談した後、携帯で電話している。どうも別の措置を取るようだ。 チェコ国境に近い所からリンツまではとにかく遠過ぎる。村の道途中で我々の救急車は停車したまま動かなくなってしまった。

車内、会話を交わすこともなくじっと待っている。

「これからどうなるのですか?」わたしは聞いた見た。

「ヘりコプターを待っている」

「ここに来るのですか?」

長いこと待っていたかのようであった。本当にヘリコプターが現れるのだろうか。医師はもう一度電話している。ヘリコプターは既に出発したらしい。こちらに方へと向っていることらしい。

夕暮れ時、交通量も殆どない村道の途中でエンコしてしまったかのようなVW車の中、不安定な時間が過ぎて行った。

新鮮な空気を吸うためにわたしは車外へと一人で出た。ヘイコプターの到着をこの目で確認したいのであった。

灰色の空を見上げるわたし。何も見えやしない。どこから現れるのだろう? 

パタパタという音が微かに響き渡って来た。いつの間にか地元の、年老いた警察官一人が現場にやって来ていた。交通整理、村道を一時的に交通止めにしたらしい。車が一二台、ちょっと離れた所に停車したままでこちらの方へと進んでは来れない。

警察官は空に向けて赤いビーム灯を振っている。ヘリコプターの運転手、というかパイロットはその光を捉えて、地上に、村道に着陸する準備態勢に入ったのだろう。 轟音が益々大きく聞こえてきた。

オーストリアの、真黄色の人命救助ヘリコプター (別名、オーストリア語で”Gelber Engel 黄色い天使”が夕方を迎えつつあったどんよりとした灰色の空から舞い降りてきた。

車から10数メート離れた所にゆっくりと着陸した。回転するヘイコプターの羽が作り出す風圧で付近の雪がもうもうと舞い上がる。

ヘリコプターが目の前に否定し難く現実的に出現した事実に少々、凄いことが今起こっているのだと感じ入ったが、実はそんな夢見ている暇もなく、でも記念にというか将来何かの思い出 の素材となるかもしれないと思い付き、デジカメをポケットから取り出し、すばやくヘリコプターに向ってシャッターを切った。

自分の息子が担架に乗せられたまま車から道路上を伝ってヘりコプターの中へと 素早く移動して行く。で、わたしはどうしたらいいのだろうか、と判断にちょっと迷ってしまうほどにその場の雰囲気に飲み込まれそうになってしまった。

わたしもヘリコプターに遅れじと乗り込んだ。ヘルメットを被ったパイロット、ヘルメットを被ったヘりコプター付き添いの医師だろうか、無線で意思疎通している。

ヘりコプターは直ぐに離陸した。ふわーと浮き上がった時の感覚。大型旅客機に乗って日本と欧州を行ったり来たりしたことがある。 離陸時の緊張した心持ち、滑走路を滑走している、座席に括り付けられて身動きはできない、振動が全身に伝わってくる、もう離陸したのかな。あの感覚。

今回はさあーと垂直的に舞い上がって意図も簡単に空中の人になってしまった。こんなに小さな飛行機に乗ったことはこの一回限りの人生初めてだった。 貴重だ。ここにも記帳しておこう。日本の山で遭難者を救い出すためにヘりコプターが山の上を飛んでいるのをぼんやりとテレビで見たことはあったが、それは現実離れした映像でしかなかった。

オーストリアにやって来てこんなことを生体験するとは想像だにしていなかった。が、現実に今、そのヘりコプターの中に収まって、わたしは透明のガラス窓から地上の様子を黙ったまま観察しているのであった。雪一面に覆われたオーストリアの国土が広がっている。雪の絨毯の中、我々が午前中、車で通ってきた道路が細い線と なって見える。所々は緑の林が見える。

リンツ市に近づくに従って、リンツの町の光が眼下に見えるようになった。

ヘリコプターよ。見よ、あれがリンツの灯だ。

街灯やらネオンやら、暗くなった道を自動車がヘッドライトを照らして走って行く。もう直ぐ病院に到着する 。

病院の何処に着陸するのだろう? 中庭かどっかか? そんなことを思っていたら、病院の建物が見えてきた。病院へと向って行く。屋上にヘリコプターが発着出来るようになっているのが見えてきた。

黄色いヘりコプターは黄色い線で丸く印が付けられた箇所にゆっくりと下降して行った。

屋上出入口では既にヘりコプターの到着を待っていた担当の看護婦らがガラスドアの内側で控えていた。我が子は担架の乗せられたまま手術室のある、建物の地階までエレベータで運ばれて行った。 廊下を駆け足で進んで行く。わたしの任務、責任はこれで終わったとも思われたが、身の置き場は見出せず、そのまま遅れないように後ろからわたしも一緒に駆け足っぽく付き添って行った。

子供は衣服等全部剥ぎ取られ、病院が用意した衣類に着せ替えられ、雪や泥で汚れたズボンやシャツは全部大きな真っ黒なビニール・ゴミ袋の中にいっしょくたんに放り込まれ、わたしはその詰まったゴミ袋を受け取った。

子供は入院することになった。レントゲン写真が撮られ、ギブスを嵌められ、ベッドに横たわったままになった。かくして来たる何ヶ月間は歩けなくなってしまうのであった。

歩けなくなってしまった。子供なのに、可哀そうに、と感じながらも起こってしまったことは起こってしまったのだ。怒ることも出来ない。

「だいじょうぶか?」

「うん」と子供は小さく弱く頷いた。


 数日後、地元の新聞を見ていたら、この骨折事故のことが小さくニュースとなって載っていた。こんなことがニュースとして書かれるのか。大袈裟だな、とちょっと思ったが、冬のスポーツでは似たような事故が起きる事例も多いことに鑑み、そういうことで記事となって現れたのだろうか。ヘイコプターが出動するほどの大救出作戦が展開された からなのだろう。自分なりにニュース解説をした。


                                                                     元に戻って、づづきを読む

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