とんだ思い込み オーストリアからのメール 眠れない夜と夜の狭間で、ああ、花粉症!

 

 

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    所謂性的自由の行く末について

 

■チェコ国境を越えたら、、、

   先日、チェコのプラハに車で行ってきた。

   オーストリアとの国境を越えてから暫くすると、思いも掛けず道路沿いに結構きれいな若い女の子が一人立って、走ってくる車、我々の車に向かって笑顔をふりまきなが元気に手を振っているのが 後席から観察された。

   わたしは昔、日本にいた時、日本一周のひとり旅をしていたことがあったが、 そしてまた当地ヨーロッパでも良くやっていたように、通過して行く車の運転手に笑顔を投げ掛けながら、「乗せて! ねえ乗せてってえ!」とヒッチハイクのサインを送っているものかと思って、 懐かしさがよみがえってきた。

   懐かしさに浸っていると、あれっ、また別の女の子が道路沿いに立ってサインを送っている。

   更に先に進んでゆくと、あれれれ、ま、また別の女の子だ。

 「可哀想なことに、稼いだお金は自分のものにならないのよね。全部巻上げられてしまうのよね」

   助手席の我奥さんに事情を説明している。オーストリアとチェコを行ったり来たりしている運転手の彼女、 我々夫婦の知り合いであるが、彼女にとってはもう何度も見慣れた風景らしい。わたしにとってははじめて見る、 元共産主義国での現状認識の一コマであった。

 

 ■歪んだ性的匂いが大ぴらに流されているオーストリアなのか

   最近、オーストリア国内での、新聞、ラジオ、テレビ等のマスメディアの報道を読んだり、見たり、 聞いたりしていると、この性に関連したニュースが目立つようです。それとも わたしの気の性、いや気の所為でしょうか。別に今に始まったことではない? 不思議ではない? 世界共通現象?

   オーストリア国に住みつき、当国の人たちの、性のモラルに付き、 色々と現状を知らされているというところでしょうか。

   一部のオーストリア人には性的な欲求不満が充満しているのでしょうか、 それが色々な形で、色々な媒体を通じて表面化しているということでしょうか。

   つい先日、地元の新聞に載っていた記事であったが、 オーストリアではテレフォンセックスが大繁盛している、と見開きの2面に渡って現状を分析していた。 同時に、紹介もしていた。何を? テレフォンセックスの電話番号が6130もある、この通りですよ、と。 オーストリアの電話会社はお陰様で大もうけをしている、と。 その新聞自体もお陰様で儲かっているということを間接的にも報道していたことになる。 その新聞にはそうしたテレフォンセックスへのお誘いの“小さな電話番号だけのような広告”が紙面、 所狭しとぎっしり載せてあるのが常なのだから、と。

 

 ■オーストリアはカトリック教の国だと思っていたが、、

   夫が妻を性的に虐待したとか、父親が自分の4歳の娘を性的虐待したとか、 そんなことをお昼のラジオニュースで流すのも驚きだ。またオーストリア南部地方の、 人口が千人足らずの、ある村の、カトリック教会の聖職者がそこに通ってくる青少年たちに密かに 性的ないたずらをしていた、とか。カトリック教会が運営する幼稚園の責任者が、 幼稚園児たちに性的ないたずらをしていた、ということが親からの報告で、 そんな事実が暴露され、関係する親たちは爆弾を受けたかのごとく “衝撃を受けている”とか、インターネットで幼児、 子供相手のポルノ写真を掲載したことで警察に摘発され逮捕されたとか、 とか、とか、とか、もういい加減にしろ! とかと言いたくなります。

   いちいち詳細を記載する気は毛頭ありませんが、そんな露骨なニュースを聞くに付け、 カトリック教が“国教”のごときお国柄であると思っていた わたしは宗教的な、敬虔なオーストリア人を想定していたのですが、これは意外であった。 尤も、オーストリア人にも色んな人がいる、日本人だって、アメリカ人だって、 何処の国の人だって、色んな人がいるので、一般化はできません、それは分かっています。

 

 ■ある夏の日の、ドキドキ

   ある年の夏、余りのも暑いので家族全員、近くの湖に行ったり、 市内のプールに水浴びに出掛けたことがありますが、回りの芝生の上、 寝転がって日光浴をしている人たちを踏んづけないようにと歩きながら、 良い日陰を見出そうとしていた。結構な人出であった。

   大人も子供も幼児も皆、この暑い夏の日、思い思いに太陽を堪能している姿が観察された。

   それを見たときわたしは内心ドキドキしてしまったこと思い出す。こんな所で、 と予想だにしていなかったのでした。

   日焼けしたおっぱい丸出しの、トップレスのおばさんたち、奥さんたち、おねえさんたち、 あそこにも、ここにもと、そこかしこ芝生の上で日光浴をしているのでしたが、全然恥ずかしくもないらしい。 ご当人たちは太陽の方に向かって目を瞑っていたから何も見えないということだったのでしょうか、 わたしの目の方では全部見えてしまった。皆で一緒にやれば恥ずかしくもないということなのでしょうか。

   わたしの方が寧ろ恥ずかしい思いを持ってしまいました。が、そんな思いを持つあんた、 あんたの方がちょっとどうかしているじゃないの、 といったような夏の暑い雰囲気でもあったようです。

   子供たちもたくさん(我が家の子供たちも含めて)周りにいるというのに、、、、と わたしは心配しながらも自分たちの場所を探していたのでしたが、 どのように日光浴しようとそれは個人個人の“自由”とでもいうことだったのでしょうか。

   裸体(健康的な肉体美だと言えないこともないのですが)を公衆の面前に 晒しても何とも感じないのだろうか。性的羞恥心が欠けているというのか。 とにかくこちらとしては見たくないと思っても目が開いているから見えてしまうのでした。 尤もヨーロッパの夏は短く、冬は長く、だから早く春よ来い、となるのでしょうが、 そんな短い夏の太陽を全身で捕まえようとしていたのかも知れません。

   公共の場での、そんな風景を目の辺りにしながら人々の意識の世界がオーストリアでは、 少なくともこの日本人とはどこか違う、ということを認識させられた次第でした。

 

 ■性的意識の差?

   そんなオーストリア人の、ヨーロッパ人の意識の延長なのかどうなのかは知りませんが、 そんな意識の行く末は結局、オーストリアのテレビ、家庭のテレビでも同じような場面が、 トップレスを通り越してボトムレスまでもが目に飛び込んでくることがしばしばあるということになるのでしょうか。

   これが所謂性的自由というものなのでしょうか。自由には責任がつきものですが、 これは無責任というもののように思います。本当の意味での自由を享受しているわけではないのかも。 いわゆる個人主義の国、だから個人の自由だということになるのでしょうか。

 

 

 

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Linz, 20.Maerz 2003 ご参考までに TOP FIVE →

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