子供たちは何度も何度も詰問されているかのようで、出ないものは出ないと言いたいのでしょうが、
母親の機嫌を損ねてはマイナスになると子供ながらの知恵が最近は付いて来たのでしょうか、
すごすごと表面上は親に従っています。わたしに向っても言われるかも知らないと、言われない前に、
または言われる前に、隙(すき)を見てトイレへと消えて行きます。
なぜそうまでして出掛ける前の儀式の如きことに対して念を押すのか、その理由がわたしにもある時、合点が行った。
要するに、街中、トイレがない、みたいなのです。断定は出来ませんが、
殆ど無いに等しいと言った方が正しいかもしれません。本当に見当たらないことが多い。
それとも探し方が下手糞なのでしょうか。緊急時には本当に困ってしまいます。
■ザルツブルクのバスと腹痛と、
緊急時と言えば、一つ辛い思い出があります。ザルツブルクの知り合いのお宅を訪問する途中のことでした。
確か終点まで郊外へと行く必要があったのですが、とにかくバスに乗りました。
今、市内を走っている最中であることはバスの窓ガラスに沿道の商店が次々と後ろの方へと飛んで行くので理解できます。
市内、止まったり、動き始めたり、また止まったり、そしてまた動き始める。そんなことが繰り返されているうちに、
ちょっとバスに酔っている自分を感じている。吐きたくなるような気分を精神力で阻止している。
漸くバスは市外へと出て行くようだ。交通渋滞がなくなった。急停車することなくスムーズに流れ始めた。安心している。
暫くすると、何故か急に腹の調子がおかしくなり、
腹痛も伴って超緊急にトイレへ行きたくなったのです。公共の乗り合いバス、
運転手さんに停留場でもないのに、走行中、バスを止めてくれえ! と言い出す勇気はありませんでした。
しかし本当に緊急の緊急でした。腹の痛みを抑えるかのように座席からおもむろに立ち上がり、 次の停留場で降りるために前以て準備をするというのではなく、
バスの後ろの方へと何の用事もないのにゆっくりと大事そうに歩いて行ったり、また自分の席の所に戻って来たり、 でも腰掛けません。あ〜あ〜あ〜ああ〜あっ!(発声練習ではありません!)、
どうしよう、どうしよう、と我慢ももう限界と思えたのでした。
我が奥さんも青白い顔を見て何事が起こったのかと心配顔。
「どうしたの?」
聞いてくれるなよ。無言で返事をしている。聞かれると、それだけ痛みが増し、
今すぐにでも出そう。耐えているのが分からないのだろうか。
確かに出掛ける前に済ませておくべきだったことは済ませておくべきだった!
と後悔していたのでしたが、もうそんなことも言っていられない。むむむむと無言で我慢していたのです。
と同時に早く、何とか早く、早くバスが目的地に着いてしまうことばかりを握り棒に縋る様にしながら祈っていました。
着いたら我一番にバスから飛び降りて、一目散に訪問のお宅へと脇目も振らずに
トイレへとまっしぐらにすっ飛んで行くつもりでした。
そんな自分の姿が既に目の前に描かれていました。早く着かないかな。
ところでリュックの中に胃薬のセイロガンを持参してきているのを運良く、
緊急に閃いたというのか、蓋を開け、3、4、5錠いっぺんに水も飲まずに―――、
水は手元になかった、――― 飲み込んだ。歯痛のときにその歯に一錠詰めてみると
以外に胃痛が和らぐことを知っていたので、腹痛もそんな積もりで一時的にせよ、
治るのではなかろうかと大いに期待して飲み込んでしまいました。
日本から持参してきていたこの独特な臭い、いや匂い(薬効抜群の「匂い」と
ここでは書いておきましょう)を漂わす薬にわたしは助けられたのでした。
それが緊急事態発生時の特効薬、いや即効薬とは知らなかった。
バスに便乗中、トイレに行く急用も程なく霧散、安堵の腹を撫で下ろしながら休養、
あとはバスに揺られ続けて目的地に着くことばかり、でも額には大粒の脂汗を掻いていたことが思い出されます。
西洋では街の美観を損ねないようにといった建築美学的見地からの配慮がなされているのかもしれません。
わたしの知らないところ、目立たないところにはちゃんとあるのかもしれません。日本では「臭いものには蓋」
と言いますが、それをヨーロッパでも地で行っているのかも
しれませんね。
後で分かったのですが、広場のどこか、それとなく目立たないところ、
地下へと潜って行くかのように一時姿を消すことを余儀なくされる石段が見出されることがありました。
へええ、こんなところに! 地下街へと通じているのではなく、
地面下に設けられた公衆トイレへと通じているのでした。こんな所にあったのか!
石段を一段一段と降りて行く利用者を遠くから眺めているとまるでエスカレーターに乗って下って行くかのような眺めでした。
ウィーンには地下鉄駅へと通じるエスカレーターがありますが、リンツにはありません。
■今度こそ、緊急事態発生! さて?
ところで、本当に、本当に緊急事態が発生の場合、どうするのか?
逃れようにも逃れない時、どうしたらよいのか? どうしましょう?
我が振り構わず喚き回ったら何かが起こるかもしれません、そう、何かが。
街中では犬さんみたいなことは出来ません。出来る? 出来まする?
見られたものではありません。いつしかモナコかどっかの、マスコミ嫌いの、
ヨーロッパの貴族の一人がお付きの者(ボディガード、それとも友人だったかも)と
一緒に用を足しているところを運良く(または運悪く? かな)カメラマンに撮影されてしまい、
新聞、雑誌にもそれらしき写真を公表されてしまっていたことが思い出されます。スキャンダルですね。
脇の路地にこっそりと姿を消して、現地の人ですが、出来る人もいるにはいるようですが、
女性は? 読者の方で緊急時の応急手当、ヒントをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
いいアイデアをわたくしにお教えください。募集中です。お互いの安心と幸福のためにも貢献し合いましょう。
足早でそこら中を歩き回っているうちに、人体の自動調整作用でも働くのでしょうか、
時に一時的でしょうが、緊急事態解除! となることもあるのでしょうが、
当分の間、解除も難しい場合はどうするのか? どうしましょう?
■緊急事態解除へ向けての小さなヒント集
読者の皆様、これは重要問題です。早急に解決されなければなりません。以下、
わたしの少ない経験からヒントをお知らせ致します。
<1>レストランやバー等の飲食店へと駆け込
<2>ホテルへと駆け込む
<3>民家へと駆け込む
<4>犬さんを真似る
<5>現地の人に直接何とかかんとかと聞き出す
<6>わたしの特選
それでは若干詳しくコメントします。
心して読むことをお勧め致します。
<1>レストランやバー等の飲食店へと駆け込む
勿論、文字通り急いで駆け込むと危ない。急いてはことをし損じます。
店内にいる人にぶつかる事もあるかもしれません。
第一、何かに躓いて転ぶかもしれません。転んだ拍子に怪我でもして、
怪我のことで緊急事態を忘れてしまうこともあるかもしれませんが、つまり意識を別の所へと移してしまえば、
緊急事態も消滅してしまうこともあるかもしれませんが、立ち上がっていた時にはもう問題は解決していたとか。
第二に、良くあることかもしれませんが、特に銀行に於いてはそのようですが、
異様な雰囲気を一緒に持ち運んで来たりして、見慣れない強盗でも闖入してきたのかと思って、
お店の人、食事をしている人たち、極度に緊張、警戒し、所期の目的を達成することも出来ず、
つまりトイレをさせて貰えず追い出しを食ってしまうかもしれませんので、そこはゆったりとお客を装って、
腹が減ったので、喉が渇いたのでといった風に周りの人たちにも思わせなければなりません。相当の演技力を必要とします。
リンツにある、あるホテルに入って行ったことがあります。
ちょうど何処かの会社の会食会でも入口玄関ホールの隅の方で行われていたのでしょう、
わたしはそのホールの隅の方へと向って行ったのですが、会社の関係者の一人とは見事に看做されず、
「もしもし、あんた、あんた、何処へ行かれるのですか?」と格好いいビジネスウーマンに引き留められたことがありましたが、
正直に実情を伝えて、場所を教えて貰いました。自分で探すよりも、聞いてみた方が手っ取り早い場合もあるかもしれません。
そのレストランで食事をするために入ってきたわけではなし、ドリンクを頼みに入ってきたわけでもなし、
お客のように振舞うことが肝要かと思います。
食事の席に付く振りをしながらも「御トイレは何処ですか?」
とお店の人に出くわせばさりげなく聞いてみる。聞かれれば答えるのがお店の人の役割、
仕事の一部でもあるわけです。お店の人に出くわせなければ、感を働かして、奥の方へと進んで行くと大抵見つかるものです。
教えられたら「どうもありがとう」と笑顔でお礼を言って、そのまま目的の場所へと慌てずに行くこと。
用が済んで、もし同じ店の人に出くわしたら、もう一度「どうもありがとうございます」、
または「ございました」と言って入ってきたドアから外へと抜け出ること。清々するでしょう。
ドアの外へと出てみると世界が変わっていることを体験するかと思います。この体験は貴重です。
純日本人のわたしは、わたしの常として一旦、お店の中に入ってしまうと、
つい何かを注文しなければならない、飲んだり食べたりしないと中に入って行っても格好がつかないなどと
思ってしまうものでしたが、レストランで食事をするほど裕福ではない、いや余裕がない、急を要する、
そんな自分だったので覚悟を決めて毅然と上述のことを実行したら巧くいきました。
<2>ホテルへと駆け込む
ホテルの人たちとは勿論、レセプションのカウンターの後ろ側に控えている人たちやベルボーイ、
ポーターその他、皆の意識はホテル宿泊の予約客がやってきたと普通考えるのでしょう。
そのカウンターの所へ行っても良いのですが、誰も出迎えてくれないそんなホテルにぶつかることもあるかもしれません。
その場合は自分で探す。うろうろしている所を捉まえられてしまったら、本音を白状すれば宜しい。
聞けばちゃんと教えてくれるでしょう。尋ねられて、ここから出て行け、という返事を貰うことは無いと思います。
聞くには、ちゃんと聞けるように、実用的な文章を暗記しておいて、
直ぐにも口からで来るようにしておかなければなりませんね。
ヨーロッパ各国をひとりで旅していた時、どこに自分が立っていたとしても、 このトイレのことが心配で何処の国へ行こうともその国の言葉で 「トイレは何処ですか?」
を必須的、必至的に暗記して行ったものです、言ったものです。
言っても通じそうもない時はそれなりに恥も外聞もなく、
ジェスチャーゲームです。通じるものです。万国共通語みたいです。所謂 Body
language とも言います。
英語 Excuse me,
but where can I wash my hands, please?
Where
can I find the rest room, please?
Where
is the toilet, please?
ドイツ語 Wo
ist die Toilette, bitte?
フランス語 Ou
sont
les
toilettes,
si’l
vous plait?
イタリア語
Dov’e
la toilette, per favore?
ロシア語 スカジーチェ、パジャルスタ。グジエ トゥアレ−ト?
そして済ませた後は、澄まして、
ありがとう、
Thank you!
Danke!
Merci!
Grazie!
スバシーバ(ロシア語の原語書き方まだ知まへん) 等々、
お礼を言ってそこを去るのです。去る者はホテルの人と言えども追わず。 日本語の諺、「去るものは追わず」です。
<3>民家へと駆け込む
この場合は当たりハズレがあります。他人様に使用されることを嫌がる家主もいますし、 全人類共通問題(国籍の如何は関係ない)であること、その事情を察して救助の手を差し伸べてくれる家主もいます。
ハズレたら仕方ない、次の民家へと進んで行くだけです。救世主、または理解主は現れるものです。
<4>犬さんを真似る
ここだけの話ですが、これはあまり勧められません。現地の人が実行しているのをたまたま目撃してしまったことがありますが、
余り気分は良いものではありません。証拠写真を撮られないように警戒することですね。上の方でも書きましたように、
ドッキリカメラはヨーロッパにもあります。
<5>現地の人に直接何とかかんとかと聞き出す
緊急事態発生! ご自分の周りを見渡して、誰でも良いから直接聞いてみるのです。 「立っているものは親でも使え」と言いますが、オーストリアに観光に来ているとしても、
この日本語表現は有効だと思います。周りのオーストリア人を巻き込んでしまうのです。 躊躇している暇はありません。トイレに緊急に行きたい! ということを、
言葉が通じなければ、ジェスチャーゲーム宜しく必死に伝えるのです。本当の演技をするのです。 すると、結構、現地の人も一緒に同じような緊急なる心境になって思いも寄らない知恵を貸してくれるときもあります。
<6>わたしの特選
何と言っても、何の気兼ねもなく、何の迷いもなく、開店していれば、そしてその場所を知っていれば、
知らなければ教えて貰えるならば、何時でも、何人でも訪れることが出来る場所があります。
読者の皆様もご存知かもしれませんが、わたしのお勧めは、あのハンバーグのマクドナルド店です。
世界中に何店舗あるのか、はっきりした数字は知りませんが、マクドナルド店は気楽に利用できます。
勿論、料金(駅のトイレでは小銭を取られること多く、金を払ってまでトイレしなければならないのか、
と何度がっかりしたことがあったろう!)を取られませんし、勿論チップを払う必要もありません。
別にマクドナルドのハンバーグを注文しなければならないといった圧迫感を感じることもありません。
あのゴルバチョフさんもモスクワに一店持っているとか、だから今度モスクワに行くような機会があったら、
またそこで緊急事態が発生した場合には、間違いなく現地のモスクワ人に聞く。マクドナルド店を探しているのだが、と。
そのお店で偶々ゴルバチョフさんに会うという稀有なる機会を得たら、ご本人に直接聞くだけの価値はあるでしょう。
あの有名人と直接会話を交わすことが出来たと帰国してからは自慢話をすることもできます。
上のロシア語を覚えていて、聞くのです。
「スカジーチェ、パジャルスタ。グジエ トゥアレ−ト?」
済ませたら、澄まして「素晴らしいわ」と聞こえるかのように「スパシーバ(ありがとう)」と礼を言って、
「ダズビダーニア(さよなら)」と言って、お店を出て行くのです。
わたくし自身は滅多にそのマクドナルド店に行って食事(ハンバーグやらポテトチップ)をすることはないのですが、
年に一回か二回ぐらいでしょうか、リンツの街中にやってくると、そして緊急事態が発生しそうになるとこの日本人は
このお店を目指すのです。リンツの、同じメインストリーの両端に2店もあります。リンツの街中へと行っても慌てることはありません。
もう場所を知っているからです。お店に働いている人たちにはこの場を借りて感謝申し上げておかなければならないでしょうか。
毎度お世話になっております。
このお店は何処の国へ行っても内装は殆ど同じ。トイレも同じ。マクドナルド店のトイレ専門家ではないが、
わたしは何故かそこへ行くと安心する。世界共通の作り、お店で出されるメニューも似たり寄ったり。繁盛しているのか、
いつもごった返しています。いつしかわたしはマクドナルド店のトイレを知悉するようになってしまいました。
さて、読者の皆様、長々と綴ってきてしまいましたが、
ヨーロッパ(オーストリアを含む)ではくれぐれも(暮れ暮れと暗くなると特に見落としやすいかもしれませんので)
例のモノに出くわさない様に、踏んづけないように、お気をつけくださいませ。何処へ行こうとも気持ちの良い旅をしたいものです。