■ネガホリックな人とは?
さて、家に戻って、この言葉についてもっと仔細に知ろうとインターネット上で改めて検索してみました。
この「ネガホリック」という言葉を最初に使い始めた人とはアメリカ人女性のようです。
著者の名前は Cherie Carter-Scott。
著書の題名はちょっと長いですが、「Negaholics−How to Overcome Negativity and Turn
Your Life Around」。1989年に初版が出版されています。Negaholics:
How to Overcome Negativity...
この方の著書の内容を手際良くまとめた記事を参考に以下では少し詳しく調べてみましょうか。
先ず、ネガホリック(衝動的にネガティブな人)と言っても、詳しく見ると、大きく4種類に分類出来るということです。
1.態度姿勢がネガティブな人 Attitude Negaholics
2.行動がネガティブな人 Behavior Negaholics
3.精神的にネガティブな人 Mental
Negaholics
4.ネガティブな言葉を吐く人 Verbal Negaholics
わたしなりにまとめて見ますと、内面的(目には見えない意識・無意識の精神世界で)にネガティブであるがために、外面的(目で見える形となって現れる実際の世界で)にネガティブに現れるということになりますね。
「内的にネガティブであること」が原因となって、「外的にネガティブであること」が結果として現れる。ですから、わたしが考えるに、3の精神的にネガティブであることが原因(これが一番の原因)となって、1の”態度姿勢”として、2の”行動”として、4の”言葉”としてネガティヴィティが現れてくる。
ところで精神的にネガティブになる、なってしまった、なっている、――― この精神的にネガティブな状態になる理由、原因は何処に求められるのでしょうか。つまり、意識の問題でしょうか、その人の気の持ち様でしょうか。その人が生活してきた、または生まれ育って来た家庭環境、また若い頃の経験、社会生活での体験、人生体験からそうしたネガティブな性向が形成されて来たということでしょうか。
■1.態度姿勢がネガティブな人たち(Attitude
Negaholics)
「あなたは自分自身に満足していますか? 周りの人に満足していますか?」
この質問に対して、NO! と答える人はこの範疇に属しますね。つまり、自分自身に満足できない人、また他の人に満足できない人。
<傾向と対策>
ネガティブな態度姿勢を取ることに対してはどのように対処して行けるでしょうか。
まずは自分自身をしっかりと観察、吟味、見定めてみる必要があるようです。
偽ることなく自己を調べてみる。
しかも自分が今日までに色々と体験してきたこと、学んできたこととは別の、何か新しいことを喜んでする心の準備が必要で
すね。つまり自分が変わるということ。
新しいことをする過程では一つ一つ、自分一人でどうするか決めて行かなければなりません。自分で決めるであって、他の人に自分の代わりに決めてもらうのではありません。飽くまでも自分が決める。自分自身の人生なのだから。
この道を行くのか、行きたいのか、それとも別の道を行くのか。生きて行く上で、自分が変わって行く過程で、その都度その都度、決断することが求められるのですよね。
新しいことをするに当たっては自分はどういった姿勢を取れば良いのか。別の言葉で言うと、ある一つのモノゴトを前にしてどのような観点からそれを捉えるのか、そして自分としてはそれにどう
個人的に、そして直接関わって行くのか。
何か新しいことをする上では、その一、観察の仕方、その二、そのものへの関わり方、このふたつの要素が重要な決め手となるようです。
態度姿勢がどのくらいのネガティブ度に染まってしまっているか、その度合いに応じて、自分自身への満足度も、そして他の人への満足度も決まるというもの。大いに満足しているのか、それとも全然満足出来ていないのか。
他の人の欠点・短所、間違いばかりしか目に付かないならば、当然ながらネガティブに思考し行動していることになりますよね。
ところで、ネガティブな思考に基づきネガティブな行動を取った時、どんなことが起こるでしょうか。自分の周囲で起こっていることに嫌気がさしてくるのです。自己嫌悪に陥る。自分ではネガティブな態度を取っているなどとは思っていない、気付かないかもしれないのですが、でも実際に目の前で起こっていることとはネガティブな自分が直接影響を与えている結果と見ているのです。
態度姿勢がネガティブな人というのはそのネガティブな自己像を相殺しようとして執拗に自分自身をプッシュするか、または他の人をプッシュします。自分自身に向って「完璧主義者」であろうとするし、他の人に対しても同じように要求します。またはその奴隷になる。例えば、学校で数学だけに集中、他のことは全部無視、一生懸命勉強すれば数学の試験で100点満点を取れるかもしれませんが、100点満点を取ることがどれだけ重要だということになるのでしょうか。テストに出た問題について全部知っているということを証明するのが重要なのでしょうか。
完璧主義者は90%、いや、99%でも満足出来ない。自分がやったその結果についてそれ相応の評価を下す代わりに、自分が出来なかったことに対して自己批判をする。
自分で何かをしようともまた他の人が自分のために何かをしてくれたとしても、それで十分だということがない。なぜか。実現可能な目標設定をしないからです。
完璧主義者に徹すること――― ある場合には、不可能ですよね。完璧なる親というものがこの世にいるでしょうか。そんな親がいたとしても、一緒に住む気も住むことも出来ない。
完璧にキレイな家といったものがあるのでしょうか。そもそも完璧にキレイな家ってどんな家でしょうかねえ。説明不可能。家の中、家具等をキレイに掃除したとしても直ぐに埃はついてしまう。最初のうちは埃が見えないかもしれない。でもそこに付いている。キレイに拭いたとしても直ぐに埃はつくものです。
完璧に真っ白な洗濯物といったものがあるのでしょうか。コマーシャルだって答えられません! いや、そう言えば「あなたの白いシャツがもっと白くなります!」といったようなコマーシャルが当地、西洋のテレビで流されたことがあったとか、なかったとか、それとも日本での話だったのでしょうか、このコマーシャルの馬鹿らしさというのか、売らんかなあ、の広告主の強かぶりが日本で話題になったことがわたしには思い出されます。
人生の途上ではどの程度に満足するか、満足の程度問題、つまり如何に程良く満足するか―― こちらの問題の方が実現不可能な完璧度を追い求めることよりももっと重要ではないでしょうか。どうなんでしょう。
態度姿勢がネガティブな人に向っては気に入って貰えるようなことは先ず不可能です。何故か、このタイプの人は他の人がすることの中には好ましい面もあるということを拒否するからです。長所が見えない、いや、見たくはないということでしょうか。何を見るのかと言うと、欠点とか短所とか間違いだけを見るのです。ネガティブ探しの名人。
そもそも人間一人一人には良い面もあれば悪い面もある、ある事は出来ても別のあることは出来ない、上手く出来ることもあれば下手糞なこともある、そうした長所短所を備えているのが人間色々なのですが、それが分からない、らしい。専門的な技術を持った人であったとしても、日常茶飯事的な意図も簡単なことが出来ない人もいますよ。
あなたは自分に満足しているのか。また他の人に対しても満足しているだろうか ―――それが問題だ。満足しているとしても、自認しているだろうか。他の人に対しても自分は満足しているとその人たちのことを伝えているだろうか ―――それも問題だ。そうでないならば、あなた自身はネガティブな態度姿勢を未だ以って助長していることになる、と指摘して置きましょう。
「自分はポジティブな人間なのだ」と想像してみましょうか。ポジティブとネガティブとの違いが分かるでしょうかね。違いが分かる人なら、感じ取れるかも知れない。
「自分にとって出来ないコトがら」に拘るのではなく、否、拘らない方が良い。もし拘りたいならば寧ろ「自分には出来るコトがある」と自分に言い聞かせる。「自分には出来ること」がたくさんある!!!! と。
周りの人たちに対しても、「その人たちにとって出来るコトがら」をあなたが見出し知らせて上げる。その人たちの欠点やら間違いやらに意識を集中させない。そういう肯定的な自分になろうとする、なってしまう。その時、その人たちはあなたに対して、どう感じるか。喜ぶでしょう。――― お主、分かっとるねえ。
1)ポジティブな道とネガティブな道があるとして、自分にとってはどの道を取るのが得なのか、ポジティブな道が得か、それともネガティブな道か。
2)これからの人生を送って行く上で、自分としてはどの道を取って行く積りなのか、ポジティブな道か、それともネガティブな道か。
ポジティブ、ネガティブという二者択一の道があった場合、自分としてはこれからも相変わらずネガティブな道に沿って行くのか。どちらを選択するのか? そのことを誰が決めるのか!? ―― 「自分で決める」に決まっています。
■2.行動がネガティブな人たち (Behavior
Negaholics)
何事にも一生懸命にやるのは良いのですが、怠け癖がありますね。やらなければならないことに対する決定・決断を後へ後へと引き摺り、最終的には何をやろうとしても上手く行かなくなってしまう、そんな自分に仕向けてしまう。酒浸りになったり、食べ過ぎたり、ギャンブルに現を抜かしたり、テレビに張り付いたり、または仕事一辺倒といったようにネガティブな行動をすることで自分のことを忘れようとする。自分自身に向って何かを証明しようとするのでしょうが、そのやり方がネガティブで破壊的。
行動がネガティブな人というのは同じような間違いを何度も繰り返す。人生にはポジティブな面もあるのにそれを見ようともしないので、自分が体験したことから何かを学ぶということもない。袋小路に嵌ってしまい、でも動きが取れないでいる自分を認めようとはしないし、具体的に何かをするという気持ちもない。
<傾向と対策>
行動がネガティブな人は人生に対しても積極的になれない。自分の周りに何が起ころうともネガティブな行動パターンに則って反応するという罠に陥ってしまう。必ずしも惨めな人たちとは言えない。でも自分自身の生き方がプラスに作用するというよりもそれを阻害するパターンに陥るようにしてしまう。つまり惨めな状態を自分で作ってしまう。
行動がネガティブな人にも三種のタイプがあります。
1)後回し型(Procrastinator)
2)パターン繰り返し型(Pattern repeater)
3)正当に自己評価出来ない型 (Never-can-measure-up person)
1)後回し型
このタイプの人は実行しなければならない課題を頭の中に保管しておこうとする癖がついてしまっています。つまり、諺で言う「去るものは日に日に疎し」という原則に基づいて、実行すべきことを自分で見えないようにしてしまう。見えなければ実行しないといった次第。
事実、やりたくはないのですよ、でもやらないわけにはいかない、もしくは「やらない」とハッキリ決められない、そんな状況にいる人です。だから、「当分はやらない」と決めてしまう。
自分一人だけの世界に住んでいるならば、そうであっても問題はないでしょう。と言うのも後回しにしたところで自分だけに影響が出るだけで他の人が困るということにはならないからです。
しかし周囲の人たちに影響が出る事柄を後回しにするとどうなるか。例えば、家でのお手伝い、学校の宿題、上司のためにする仕事、請求書の支払い等々、これらを後回しにすると本人だけでなく周りの人たちまでもが迷惑を被るのです。
このタイプの人たちは以下の質問を自分に向って常に繰り返し、自分で答えを用意して置く必要があるようです。
i)それは本当にやらなければならないことなのか? やらなかった場合、自分は大変な目に会うだろうか?
ii)自分はそれをやる積りだろうか? やるのか、やらないのか?
iii)やる積りなら、いつそれをやるのか?
iv)やると決めたその時までにやる! ということを確かなものにするために、自分としてはどのような措置を取る必要があるのか?
――「いつかできることはすべて、今日でもできる」
モンテーニュ
―― "Never
put off till tomorrow what you can do today." 今日出来ることを明日に延ばすな。(英国のことわざ
)
2)パターン繰り返し型
言わば“轍”に嵌まり込んでしまい動きが取れない人たち。別言すると、自分がしたいと思っていることとは逆のことをやってしまう人たち。いつも何かをやりたいという気持ちはあるのですが、自分自身との固い約束とで言えばよいのでしょうか、それが守れないので自分が意図したことから気を反らされてしまってばっかり。自分に対する自信が殆どないので、ネガティブな影響を受けやすく、自分でこうしたいと思っていることとは逆のことをやってしまう。それがフラストレーションの種ともなるのですよね。
中毒患者はこの典型的な例。ポジティブにモノゴトに当たって行きたいと思ってはいるのですが、ちょっとしたネガティブな行動一つを取ることでいつものネガティブな行動パターンに陥ってしまう、つまり世に言う“中毒状態”に陥ってしまう。こういう人たちはどのようにしたら助けてあげられるか。同じようなネガティブな生き方をしてきて人たち、でも今はそんな状態から逃れ出た人たちや、そうした中毒状態を克服した人たちからの支援が必要だ。アルコール中毒者救済のためのAlcoholics
Anonymousという団体がありますね。
3)正当に自己評価出来ない輩型
このタイプの人は自分のことを過小に評価する。(謙遜の積りなのだろうか?)達成可能な目標に向って努力するのではなく、それよりももっと低い段階に目標を設定してしまう。元々優秀な学生で努力すれば「5」が取れるのに、「5」が取れるような自分ではないと諦めるというのか、自分を過小に評価して「3」しか取れないようになってしまう。
自分を過小評価すれば、過小評価した分しか結果は得られない。これは確かに真理と言えるでしょうね。
こうしたネガティブな行動を取る人たちはこう信じている ―――「現在の自分の状態に合ったコトだけを選んで、自分としてはそれが出来る」と。
自分に対する尊敬、自尊心、または自信に欠けているので、自分にはそれ以上のことは出来ないと見る。
自分でネガティブに予言した通りに行動してその通りにモノゴトは相成るといった次第。人生をポジティブに見ることが出来るならば、―――「自分とは自分がそうと決めたものであるし、自分が決めたことにもなれる!」と自分で信じられる筈なのですがねえ、、、、、。視点を変えるだけで、ネガティブな行動パターンを反故にすることが出来るし、自分の人生に責任を持つことも出来るのです。
つまり、こうしたネガティブな状態から抜け出すためには、この世界にあっては自分しか責任を取る人はいないといった自覚的な責任感、そういう責任を感じる自分になること、これこそが解決へのカギだ、と言えます。
Marchtrenk, 10 Jänner
2004 つづく
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