この世で一番住み心地が良い国とは      オーストリアからのメール       「花」と「花言葉 」を知る


  

 

「昨年一月」が思い出される2005年の1月を迎えた

 

1月を迎えた。今年1年がより一層住みやすい世界になって行くことを願いたい。そんな風に一月元旦に祈念するかのように思った。

今期の冬は昨年から始まり今も言うまでもないですが、暖冬と言われているらしく、今年の1月(15日現在)は、珍しくも雪がありません。昨年、クリスマスの日には雪が降るだろうかどうだろうか、と人々の関心がそんな点にあって、天を仰いでいた。ホワイトクリスマスにはなりませんでした。

今年の1月は曇り空が毎日のように続くだけで、雪が降ってくる気配が平地部ではありません。空気だけは冷たく、時々強風が吹いています。

さて、今年も1月を迎えたということで、 ちょうど一年前が思い出されるのです。雪が降ったり、霙になったり、じめじめとしたオーストリアの冬でありました。

 

 

*             *

昨年の一月、 わたしは隣町、Wels で毎日、午前8時開始の講習を受けていました。

何日目のことだっただろうか、休憩時間に講師が私のところに飛んで来て、紙切れを手渡してくれる。その記された電話番号に電話を入れて見てくれ、とのことであった。

外からは 滅多に電話を入れることがないわたし 、個人的にはハンディは持っていない、一番上の子だって必要ないと私は執拗に拒否し続けていた。母親を丸め込んでしまったのか、今年1月の誕生日のプレゼントとして知らぬ間に 贈られてしまった。

とにかく、電話をするように、と他の人から告げられるとはとても稀なこと。

何が起こったのだろう?

受付に行って、電話を使わして貰った。

 

わが家族たちがお世話になっているお医者さんの所であった。わたしであると告げると直ぐにそのクリニックの受付の秘書が電話を取り次ぐ。

暫く、待つ。

何があったのだろう?

 

「ああ、いたい、ああいたい」

 わたしにも分かる日本語で言っている。私に会いたいのか、そんなにも会いたいのかと思ったら、そうではなかったようだ。

 「ああ、痛い、ああ痛い」

 とんでもない事になってしまった、取り返しのつかないことになってしまった、
といったような雰囲気が伝わってくる。わが奥さんの悲痛な声 が電話口に聞こえ
てくる。

事情説明が始まった。

いつもの買い物で町の中心地に車でやって来ていた。車から降り、商店のショーウィンドウが並んだ前の歩道を歩いて直ぐ近くのスーパーに行こうとしていた。

足元の歩道は凍っていたに違いない。そんな氷の上を足を乗せ滑らせてしまった。重心を失い尻餅をつくかのようにしてある店頭で転倒。倒れた拍子に身を守ろうとして右手を突いたが、その手首に異常にも力が入り過ぎ骨折してしまったらしい。 激痛が襲ってきた。一人では立ち上がれない。無残にもその場に放り捨てられたような格好で冷たい歩道に横たわっていた。自力で起き上がろうとした。

転倒した現場をちょうど目撃した地元の女性二人が駆けつけて助け起こしてくれた。直ぐ近くのお医者さんの所へと両脇を抱えられるようにして連れて来てもらった。

骨折したらしい右手関節のところを応急に固定させる手当てをしてもらった。病院で詳しく見てもらうために、今救急車を呼んでもらった。待っているところだ、と。

何たることことか! 正月早々に怪我をするとは。またも骨折か!? 

そう、またも! 同じ人間ではなく、同じ家族の一員。

しかも同じ一月! 

そう、二、三年前の正月の出来事がだぶるかのように想起された。下から二番目がやはり骨折事故を起こしたのだ。脛骨であった。一月というと新年の始まりではあるが、我が家に於いては誰かが骨折するようになっているのかしら ん、と思わざるをえないような一月となってしまった。

  

*             *

わたしはその日の講義受講を早めに切り上げて、自宅に帰ることにした。

救急車がちょうどやってきたようだ、回りが何となくざわめいているのが耳元の電話を通して聞こえてくる。電話を切った。

救急車でどこに搬送されてゆくのかというと、一番近い町は、そう、わたしが毎日講義を受けている同じ町 Wels、 市内の救急外科病院までである。同じ街にやってくるということで再会できるのでは、と思ったが、どこの病院に連れて行かれるのかも分からないので、再会はしないことにした。

病院では多分、骨折した掌と腕の関節部のレントゲン写真が撮られ、そしてギブスで骨折部の固定、そしてその上を包帯でぐるぐる巻きにして、腕を首から下げるように運べるようにして貰っていることだろう。

 

午後4時過ぎだろうか、タクシーに乗って自宅に戻って来た。想像したとおり、首からは骨折した腕を白い包帯で下げている。痛いたそう。

 

*             *

それからは定期的に病院通いが始まった。タクシーを自宅まで呼んで、隣町の Wels までの通院だ。帰りもタクシーで自宅まで送届けてもらう。

そう、それからは不自由な生活が始まった。買い物が出来ないので、お隣さんに買って来てもらう。入浴が自分では出来ないので、ベターハーフからの手を貸してもらう。右手は使えない、だから左手を使うようになった。 左腕も動員することになった。左利きのごとくに日常生活を消化して行こうとした。ベッドに寝るにも寝返りが出来ない。

 完治するまでには何ヶ月も不自由を続けなければならなかった。勿論、車を運転することも出来ない。わたしも出来ない。 誰も出来ない。タクシーの女性運転手さんだけ。

 

 [毎日一回、ドイツ語新聞記事 を読む、楽しむ] 

*             *

事後的な処理とでも言うのか、”交渉”に入ろうとした。

我が奥さん、お店の人に直接電話を入れて、事実を知らせる。お宅は”塩”を店の歩道に撒く必要があった。それは義務であった、と。それはご存知ですよね?

へえ、そんなことがあるのか、わたしは知らなかった。

この腕が骨折してしまったことについてどうしてくれるのか? つまり慰謝料の請求を相手に向って要請した。お店の人が加入している保険会社とのコンタクトも取った。保険会社は保険金を払いたくはないと言ってきた。しかも、当日、”塩”を撒く必要があるような天候状態ではなかった筈だ、とも逆に指摘してきた 、と。

真夜中、雪が降る。積もる。そして朝を迎える。お店の前やら家の前、人々が通る所、歩道等はそのお店、その家の人たちが責任をもって雪掻きをする義務 、責任があるとのこと。ひとびと が安全に通れるように雪掻きをする。

昨日も雪が降り積もったらしい。朝を迎えた。が、わたしはまだベッドの中。雪掻きをしているお隣さんの音が、いつ起き上がろうかと思案しているわたしの所にまで届いてくる。午前6時半。雪掻き用の、長い柄の付いたスコップで地面と雪と格闘しているかのようだ。

 

あの日の朝、そのお店は店頭の歩道に”塩”を撒く義務があった。が、義務を履行しなかった。義務行為をオミットした Omissionであった。無行為に対する責任が問われることになる。

相手側、すなわちお店の女性が言うには”塩”を撒かなければならないということは知らなかった、と告白、供述。素直に認めたことは賞賛に値するけれども、その責任は取りたくはない、ということらしい。つまり、慰謝料は支払いたくない、と。彼女の背後に誰がいるかは分からない。多分、彼女の弁護士からそう助言されたのだろう。

埒が開かない。払え。払いたくない。塩を撒くべきだった。塩を撒く必要な天候ではなかった。平行線をゆくようになってしまった。

気持が治まらないのは勿論、我が奥さん。泣き寝入りなど出来るものではない。でも、どうしたらよいのか。平行線を行くしかないのか。

 

そうこうするうちに、ある日、新聞広告で無料弁護士相談があるということを知った。我が奥さん、さっそく出掛けて行った。言った。事情を全部隠さず言った。

相談した弁護士さんは「この件は私が受け持ちましょう」という。つまり、
裁判に持ち込むしかありませんね。わたしが引き受けてあげますよ、と。

 「そうですか、それではお願いします」と我が奥さん、その場で頼んでしまった。

で、先ずどうしたら良いのですか。

論争点になっている、当日の天候状況ですが、個人的に、ああだった、こうだった、とお互いに言い合っていても埒が開きませんからね、公的機関に確認、証明してもらうしかありません よ。

オーストリア各地のの天候を全て記録しているという、オーストリアの「気象庁」に、当日の、天候について証明して貰って下さい。
 

ウィーンから証明書を取り寄せようとした。

証明書を受け取った。 当日は滑り止め、雪溶かしの”塩”を撒かなければならない、当地の天候模様であった、と。振込用紙も一緒だ。勿論、無料ということは有り得ない。書類を取り寄せるには何であれ費用が掛かる。仕方ない、ということか。

弁護士のところに持って行って見せた。

これで”証拠”が準備できたことになります。振込用紙が同封された裁判請負い確認書が郵送されてきた。裁判所に裁判を申請しますから、申請するに必要な費用を前以て振り込んでください、と。裁判を起こすのに費用が必要だ。入金確認を待って、手続きを取ります、と。

勝訴すれば全て費用は相手側が負担することになります、と教えられたことを理由に追加、そしてまた追加の費用払い込みに同意した。

勿論、勝訴でしょう?

 やってみないと分からない。



 
以上、昨年の9月のことだっただろうか。

 

 

                 オーストリア人百人一周  どちらさまもどいつごもどうぞ

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裁判はいつ始まるのか? 順番待ちか。昨年はオーストリアの判事さんたちの団体が政府にもっと判事を増やせと要請していた。政府は受け付けなかったと聞いている。つまり、判事さんも仕事(裁判関係)をゆっくりとやるらしい。

裁判では勝ち目があると考えるから、裁判に持ち込んだ。でも、直ぐに始まって、直ぐに判決が下るということはない。

 

              

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幸いなるかな、今年2005年の一月、平穏に過ぎてゆく。窓外は雪が静かに降っている。  

 今日は1月の何日か、、、、、、24日だ。もう、1月も後半も後半、しかし公判の知らせは全然ない。外は雪が降っている。1月も後半になってからはようやく降り出した。振り出しに戻った。


 市内、あの通りの近くを通る度に、現場に立ち会ったわけではなかったが、あそこで引っくり返ってしまったのだな、と私は想像する。それももう一年も前のこと。



 オーストリアの1月、Tombe la neige.雪が降る。
 裁判はまだ来ない。

(Marchtrenk 25.Jänner 2005

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2005年4月×日: 実際の裁判は意図も簡単に終わってしまった。判決:店前に塩(雪解け用の砂)を撒かなかった被告側にも責任があるが、転んだアンタも悪い。あんたにも責任の一端がある。転ばないように注意して歩かなかった。転ぶにも注意して(?)転ばなかったから腕の関節骨折に到ったと推測されうる。従って、喧嘩両成敗(?)、原告の慰謝料請求額は半分が相当と認められる、ということで半分だけしか認められなかった。その半分に減額されてしまった慰謝料はまだ来ない。