[毎回、ドイツ語新聞記事を読む、楽しむ オーストリア人百人一周 どちらさまもどいつごもどうぞ
あたらしい迷信が広まりつつある? オーストリアからのメール↑ ネガホリックの真相とは?(その一)
Wer sind Österreicher?
オーストリア人とは? 「オーストリア人の好きな、オーストリア人百人」
オーストリア人、ということであなたの念頭に浮かんでくる人がいますか?
何人ぐらい?
日本人のあなたが思い出しうるオーストリア人の名前を何人挙げることが出来ますか? あなたのオーストリア人贔屓(ひいき)度をテストしたいというわけではありませんので、ご安心ください。
「えええ、あの人がオーストリア人? 知らなかった!」ということで新鮮な驚きを覚える、見直す、そんなオーストリア人もいるかもしれませんね。
「偉大なドイツ人とは誰か?」という人気投票とでも言えば良いのでしょうか、日本人にも色々な日本人がいるように、ドイツ人と言えども色々なドイツ
人がいてもおかしくはないでしょうが、「モーツァルトはドイツ人だ」と思っているドイツ人が結構いた、ということです。さっそくオーストリア人側からドイツ人側に対して抗議があったということです。
ところで、ヒットラーはドイツ人だと思っていた(いる)人もたくさんいるかもしれませんね。偶々手元にある日本語本を見ると、ドイツの政治家と書い
てあります。実は、オーストリア人。そんなこと、知っとらー!? ですか。(ちょっと苦しい)
現在、日本にはオーストリア人が何人住んでいるのかは知りません(―――在日オーストリア大使館に問い合わせてみれば、というご忠告がくるかもしれ
ませんね、前以て感謝申し上げます-―――)が、ひょっとしてご近所にオース
トリア人が住んでいるかもしれませんね。読者の方の中にはオーストリア人と
懇意にしている人もいるかもしれませんね。一緒に暮らしている、ということです。
日本に住んでいた時、“オーストリア人”女性に初めて御目に掛かり、知り合いになったことがあります。
「オーストリア人というのはどういった国民ですか?」
ある時、彼女に直接、面と向って質問したことがあります。 つまり、
「あなたは何者ですか?」と問い質したのですね。
わたしの質問に直接答えてはくれませんでしたが、多分ご自分でも返答し難いと感じたのでしょう。「自分とは一体何者だろう?」と自分に対する問い掛
けをする切っ掛けとなったかもしれませんし、難しい質問だったので即答は出来なかったのかもしれません。そのお気持ちは分かるような気がします。
立場が入れ替わって、「あなたは日本人でしょうけれども、日本人とはどん
な国民ですか?」などと逆に尋ねられたら、わたしも急には答えられない自分 を発見して、つまり外国人に向って説明出来ないでいる自分のことで ―――
「ああ、日本人失格!」などといったレッテルを自分に貼っていたかもしれません。幸い、彼女はそんな天邪鬼的な質問をするような人ではありませんでした。
やはり気になっていたのでしょうか、わたしのために答えを用意していたようです。次に会う機会があった際、ちょうど良いものを見つけたということで、オーストリアから日本に一緒に持って来られたオーストリア紹介本、その巻頭
言にちょうど、その作者が「オーストリア人とはどういう国民か」という点に ついての説明をしていたのを見つけたということで、ご親切にもコピーしたも
のをわたしに手渡してくれたことがあります。勿論、ドイツ語で書かれた文章。
労を取ってくれた彼女にお礼を言って、そのコピーを大事そうに、どこか本
の間にでも挟んで保存して置いた筈だったのですが、、、、そうこうするうち
にわたし自身がオーストリアに引越すことになり、勿論それも持参して来ていたと思うのですが、見当たらないのです。
■過去のないわたし?
コピーを喪失しただけならばまだ気が楽なのですが、小学校、中学校、高等
学校、大学の卒業アルバム、そして日本一周した時に撮影した写真アルバムと、アルバム本と名付けられるアルバムが全然見当たらない!
目の前が真っ暗、頭がクラクラ。残念でならない。まるで自分の過去(今までの人生)が全部抹殺されたかのような思いになりました。自分はこうだったと見せてあげられる写真が何もないのです。
「過去のない男」とでも言える状態になっていたとは! 彼女から頂いた コピーはアルバムの中に挟んだような記憶があるのです。
どこへ行ってしまったのか。諦めきれない。アルバムのことです。コピーの
ことでもありますが、瞑想黙想夢想しながら、最後の場所はどこだったのか、それらの在り処を求めて記憶の世界を色々と糸を手繰り寄せるかのように、オ
ーストリア引越し前の日本での荷造りの頃を思い出したり、オーストリア国内
での荷造り状況がどうだったか思い出したりして、確か、アルバムはアルバムとして全部包んだ筈、その全部包んだものが全部紛失してしまったらしい
■“過去の事情、真相一発発見”機の発明?
今日の情報社会、知っている情報をインプットするだけで、「あなたの探し物を瞬時に探し出します」とか。
ところで、わたし自身がオーストリアに住むようになったので、オーストリ
アという国に無関心ではいられなくなりました。また、オーストリア人につい
ても色々と具体的に知りたいと思っていましたし、少しずつでもオーストリア全般について学んで行こうと心に決めました。 日本にいた時から知っていた人(少なくとも名前だけでも)もいれば全然知
らない、聞いたこともない人もいます。オーストリアに来て始めて名前を知っ
たという人もいます。オーストリア人であるということよりも、世界的に(だからこの筆者にも)知られている人として名前だけは知っている、
でもその人について実は詳しく知っているというわけではない、殆ど知らない、実を言う と、そういう人たちばかり。
仔細に見ると、日本人にも大変馴染みの深いオーストリア人も何人かいるようです。生存中の人もいれば、過去の人、でも現在もオーストリア人の心の中
に、そして多分あなたの心の中にも、生き続けているという人たちもいることでしょうね。
リストを見ながら、一つ気づいた点。楽聖ベートーベンはドイツ人だとわた
しは思っていましたが、オーストリア人なのですかね。それとも一般のオース
トリア人の中にも上述のドイツ人の例と同じように、オーストリア人と思っている人が結構いるということでしょうかね。
まあ、何を基準にドイツ人と言ったりオーストリア人と言ったりするのか、
誕生地がドイツだったからドイツ人というのか、両親がドイツ人だったからドイツ人なのか。ドイツに生まれながらも、オーストリアで長らく暮らし活動の場としていたからオーストリア人なのか。
その本人の心、帰属意識に拠るのかも知れませんし、曖昧な点を解明するためには最終的に戸籍を持ち出してきて国籍をはっきりさせなければならないということになるのでしょうか、どうなのでしょうか。 国籍が決め手なのでしょうか、人種が決め手なのでしょうか。上記リストに
は所謂ユダヤ人であった(ということはユダヤ人を止めて、オーストリア人に
なったということになるのでしょうか)というオーストリア人が何人かいます。ユダヤ人の歴史(特に現代史)にあっては迫害もあって、世界中へとユダヤ人たちは散らばって行かざるを得なかった運命を背負って来ていた(または、いる)のですが、それぞれ定着した国々で時を経るに連れて同化して行った、そうした過程でその国の国民となったという特殊事情がありますよね。 陸続きのヨーロッパ、歴史を見れば分かるように、国境は第一次世界大戦前ま
ではくるくると変わっていましたよね。独仏戦争後、国境が右に行ったり左に 行ったりで、国境近くに住んでいた人たちはフランス人になったりドイツにな
ったり。国境線一つがちょっと変更されて国籍が変わってしまう、昔のヨーロ ッパでした。
因みに、当地、オーストリア国では、最低8年間オーストリアに居住している
外国人はオーストリア国籍を取得出来る資格を得ることになり、申請して取得した人が元々トルコ人だったとしてもオーストリア人と看做されます。先回言及しましたようにアフリカ人(ナイジェリア人)のオーストリア人もいます。 (「オーストリアからのメール」No.15 参照)
要するに定義問題ですね。多数決で決めるのでしょうかね。声の大きい人の 勝ち、とか。権力を持った人が決めるのでしょうか?
オーストリア人がなぜこれらの人物を好むのでしょうか? 「同じオースト
リア人だから」という答えは答えになっているような、なっていないような。 実際、どうなのでしょう? どうして好きなのか、という理由を具体的に挙げ
られてはいません。もう少し詳しく知りたいところですが。
そこで、その理由とやらを自分で捜し求めてみることにしました。本当にそ れが理由となるのかは断定出来ません。保障出来ません。
なぜ好きなのか、と聞かれて「偶々、個人的に握手をしたことがあるから、好きになってしまった」と答える人もいたかもしれません。
一人ずつ順に取り上げて行きますが、たった一回の配信でその人を網羅する
ことはスペースの関係で難しいと思いますので、多いときには3、4回の続き物となるかと思います。それとも臨時の増刊号を出すか、サイトの方に追記
(バージョンアップ)して行きたいと考えております。
オーストリア人によるオーストリアの人気の秘密を解明すべくオーストリア
滞在中(または在住ともいう)の、この筆者は新たな挑戦をしてみたいと思っています。別途、新しいメールマガジンの発行を予定しています。
さて、一人一人の取り扱いについてですが、人気順位第一位から順に下がって行きましょうか、それとも第百位から順に上がって行きましょうか? 上記のようにABC順にしましょうか。
ここ一ヶ月程、どのようにこの百人にアプローチしようかと思い巡らしてい
ましたが、何らの規則も決めずに、いわば直感的に「この人にしよう!」という閃き、または私の好み(私の好みとはなんだろう? あるのだろうか?)に
基づいて、一人一人取り上げて行きたいと思います。ですから、誰が登場して来るかは、メールを受け取ってのお楽しみ、ということにしておきましょう。
「次回はこの人です!」と予告を出すのも面白いかもしれませんが、気分が乗ったらそうしようかとも思います。発表出来る前には色々と調べなければなりません。時間と労力がたくさん掛かるでしょうね。
なぜオーストリア人なのか、という疑問を持つ方もいらっしゃるかもしれま
せんね。それは簡単です。筆者がちょうど今、オーストリアに住んでいるからです。住みながらも、この国のことを表面的にも色々と知り、知ることを通し
て、もっと深く知ろうとしているからです。
フランスに住んでいれば、フランス人をやるかもしれません、イタリアに住んでいればイタリア人をやるかもしれません。実際、そうした国々に住んでいましたが、そうしたアイデアは当時浮かんで来ませんでした。
寧ろ、ヨーロッパに住んでいるのだから、ヨーロッパ各国の人々、全部面倒を見てしまおう、などという気も大きく持ちたくもなりますが、今は余裕も能力もありませんので、自分に制限を加えています。
わたしの基本的な立場はこうです。オーストリア人とか日本人とか、アメリ
カ人とか、韓国人とか、アフリカ人とか、国籍云々を取り立てて拘りたくはないのです。
この世界、「世界は一つ」ともよく言われますように、世界の国々が一つとなって、一つの世界を築き上げて行くのが我々の方向性と考えますし、そのためには国籍を
Aufheben アウフヘーベン(ちょっと気障にもドイツ語をつかってみました)、止揚(この漢字も難しそう)しなければならないと思っていま す。
わたし自身のオーストリア研究(ちょっと大袈裟)の一環として、「オース
トリア人の好きなオーストリア人」について、わたしなりに調べ、わたしなりに一人一人、その人気の秘密に迫って行こうということです。オーストリア人理解の一助けに、そしてご自分を理解するための手掛かりとなれば幸いです。
オーストリア人百人
Adolf Loos) Alma Mahler-Werfel) Alois Mock) Annemarie Moser-Proll)
Anton Bruckner) Anton Sailer) Arnold Schonberg) Arnold
Schwarzenegger) Arthur Schnitzler)Berta von Suttner) Bruno Kreisky)
Billy Wilder) Christine Nostlinger) Der liebe Augustin) Egon Erwin
Kisch) Egon Schiele) Elfriede Jelinek) Elias Canetti) "Sisi" -
Elisabeth von Osterreich) Ernst Happel) Erwin Ringe) Ferdinand
Georg Waldmuller Ferdinand Piech Ferdinand Porsche Frank Stronach
Franz Grillparzer Franz Jagerstatter Franz Kafka Franz Kardinal
Konig Franz Klammer Franz Schubert Friedensreich Hundertwasser
Friedrich Gulda Fritz Lang Gustav Klimt Gustav Mahler Hans Falco -
Holzel Hans Hass Hans Krankl Hans Moser Heimito von Doderer Helmut
Lang Helmut Qualtinger Herbert von Karajan Herman Gmeiner Hermann
Maier Hugo Portisch Ignaz Semmelweis Ingeborg Bachmann Joe Zawinul
Johann Nepomuk Nestroy Johann Straus "Bubi" Josef Bradl Josef
Manner Josef Ressel Joseph Haydn Joseph Roth Julius Meinl Kaiser
Franz Josef I. Kaiser Joseph II. Kaiserin Maria Theresia Karl
Farkas Karlheinz Bohm Karl Kraus Karl Lueger Karl Popper Karl
Schranz Karl Wlaschek Konig Rudolf I Konrad Lorenz Leopold Figl
Lozenz Bohler Ludwig Boltzmann Ludwig van Beethoven Ludwig
Wittgenstein Margarete Schutte-Lihotzky Matthias Sindelar Max
Reinhardt Niki Lauda Odon von Horvath Oscar Kokoschka Oskar Werner
Otto Wagner Paula Wessely Peter Alexander Peter Handke Prinz Eugen
von Savoyen Robert Musil Robert Stolz Romy Schneider Sigmund Freud
Simon Wiesenthal Theodor Herzl Thomas Bernhard Thomas Muster Viktor
Adler Viktor Frankl Viktor Kaplan Willi Forst Wolfgang Amadeus
Mozart Wolfgang Ambros <Marchtrenk, 22.Dezember 2003 |